2013年7月29日月曜日

今頃「ブラック・スワン」を見てみました。白鳥+黒鳥→不死鳥に

ブラックスワンを見た。
もちろん、レンタルのDVDで。
封切と同時に見た知り合いが酷評していたので、酷評通りの内容かと思いながら見たが、そうでもなかった。
期待してみると、期待外れのがっかりが酷評につながり、最初からひどいんだろうなと思いながら見ると、そうでもないじゃんと思えるのかもしれない。知り合いが何をもって酷評をしたのかはわからないが、その根拠を聞いておけばよかったと思っている。

というわけで、私の感想。
見終わったときにまず思ったのは、「そっか、女性の成長物語だったのか」というもの。そして詳しくないから、説明しろと言われると困るのだが、とても精神分析的という印象をもった。「的」って何だ?と自分で自分に突っ込むのだが、詳しくないために、こんないい加減な言い方になってしまう。正確を期して調べたりするのもめんどうなので、とにかく印象だけを書くことにする。

精神分析的(もうここでは、突っ込まない)という印象のもとになっている一つが、やたら登場する鏡のシーン。題材がバレエだから当然なのだが、稽古場はグルリと鏡だし、楽屋にも、トイレにも大きな鏡がある。そしてその鏡に一々ヒロインの姿が映る。というより、彼女自身が鏡の中の自分に目を向ける。
練習の合間に鏡に映る自分にふと目をやったり、あるいはポーズを確かめるように踊りながら、鏡の中の自分に目を向ける。そしてその鏡の中の自分が自分自身と違う動きをするのを見てギョッとする。慌てて確かめるともう鏡はただの鏡。   
こういう解釈を書くと途端に面白くなくなるのだが、この鏡に映る彼女は彼女自身でもあると同時に、彼女自身が気づいていない自分。まだ出会っていなのかもしれないし、抑圧していて気づかないのかもしれないが、とにかく、自分の知らない自分自身。
この彼女が知らない自分自身はバレエ団の仲間リリーとしても登場する。どういう自分かというと、黒鳥に象徴される邪悪な女性。欲望と野心と情熱と性欲と、それから何でしょうね。とにかく人のものを奪ってでも手に入れたいという強烈な欲望と情熱。そのためなら背徳的な行為をも厭わないとする野心。薬を使うことに象徴される快楽への貪欲さ、そしてもちろん性の快楽等々。主人公は恐る恐るながら、この快楽の世界に足を踏み入れる。邪悪な存在のリリーさんが男性とセックスをしている場面はあるが、主人公が男性とセックスをしている場面はない。なので、相手が男じゃないだけましかとか思いながら、女の成長と性が結びつけられるのは、仕方ないのかねなどと考える。多分、今のところは仕方がないのかなと思う。

そして母親の拒否。この母親は娘の成長と成功を願い、娘を支える応援団。母娘二人のシーンでは、母の娘に対する庇護と支配、愛着と憎悪のようなものを暗示するシーンがたびたび出てくる。簡単にふれると、部屋に入ろうとする母の手をドアでうちつけて拒否するシーンがある。これは多分母殺し。そして大量のぬいぐるみをダストシュートに突っ込むシーンがある。これは子どもである自分との決別。ひとりイニシエーション。
冒頭で、母親が用意したクリームたっぷりのケーキを、主人公が「いらない」と言い、母親が「じゃ捨てる」と、丸ごと捨てようとするシーンがある。このときの主人公は、その脅しに屈して、ケーキを食べる。母親からの拒絶を恐れる娘と娘の成長を受け入れられない母の関係がうまく描けているシーンだと思う。道具立ても母が用意した「タベモノ」というところに、母の庇護、支配等々を受け入れる、飲み込む、自分のものとする娘が表現されているのを感じた。
そして舞台当日、とめる母を振り切って舞台に駆けつけるとき娘は母を完殺することとなる。




最後に自分殺しだが、まず邪悪な存在であるリリーを殺すことによって、その存在を自分の中に取り込む。そして黒鳥の踊りを完璧に踊った後に、刺した相手はリリーではなく自分自身であることに気づく。ここら辺、映画では妄想なのか、現実なのか、みたいな描き方になっているが、細かいこと言わずに述べるならば、最後に彼女が殺したのは、黒鳥ではなく白鳥。レッスンのときに言われていた、白鳥としては完璧だが、ただそれだけの存在であった自分。純粋で美しく汚れのない自分、欲望や野心、情熱や性欲を封じていた自分である。プログラムの白鳥の死と、主人公の死とが重なるのだが、この後彼女はどうなったのかは描かれていない。死んだのかもしれないし、駆けつけた救急車によって命を救われるのかもしれないが、私個人としては死なないでもらいたいと思う。最後に、意識が遠のこうとする彼女が「完璧だった」と呟くのだが、完璧であることと引き換えに命を失うのでは、今までの女を主人公にした物語と変わらない。「心理的に追い詰められていった彼女が次第に壊れていく」という解説を見たが、壊れた果てに死んだのでは、オフェリアと一緒ではないか。壊れるのは、それこそ成長のためのイニシエーションであり、一時的なこと。白鳥は黒鳥となり、続いて不死鳥となる、とならなければフェミニストとしては面白くない。



これだけの、気も狂わんばかりの葛藤を経て黒鳥になった彼女には、真の芸術家として不死鳥になってもらいたい。女が一流になるということは、それほどに大変なことナンデス、という、強引で面白くも何ともない解釈を言いたくなるのだが、足がいろんな風におかしくなるのもそう。女が前に踏み出そうとするときに起こることナンデス。夢分析にそういうのよくあるでしょ。出かけようと思ったら靴がない夢とか、足が床にくっついて離れなくなる夢とかサ。

こうやって書いてみて、鏡、もう一人の自分、母殺し、自分殺し等々の道具立てが精神分析的という印象につながるのだなと自分でも納得。この映画は心理ホラーとか、サイコサスペンスとかいう範疇らしくて、R15らしい。確かに子どもが見たら怖いよね。夜中に夢でうなされると思う。そして、この映画、こういう精神分析っぽい解釈を全然せずに見ると、オカルトかホラーかという感じになって、「何?アホくさい」となるかもしれない。最初に書いた知り合いもそう思ったのかもしれない。

最後に、気に食わないのは、バレエの指導者が男であること。女の欲望は男によって火をつけられ、女の才能は男によって見いだされ、女の成長は男によって支えられる?この点では、この映画、確かに「ナーニ?バッカみたい」だし、このことで、この映画を「くだらない」と決めつけることもありだと思う。                         (加藤 伊都子)

2013年7月22日月曜日

電話相談員養成講座 ただ今第Ⅱ期受講生募集中

さっぱり更新されないFemi-Palニュースですが、これではいけません。
と言いながら、自分が書こうとは言いださないメンバーたちです。誰か叱ってくれ!!

さて、そんなFemi-Palニュースですが、今回は電話相談員養成講座のご案内です。
しかももう始まっている! いかにもFemi-Palニュースらしいじゃありませんか。

実は今月末or来月初めに発行されるフェミニストカウンセリング通信のNPO報告で、この電話相談員養成講座についてお知らせしているので、詳細はFemi-Palニュースで、ということになり、久方ぶりに投稿という次第にあいなったわけであります。
こちらが養成講座の案内の表紙。

プログラム内容はこちら。現在Ⅰ期が進行中です。半分済んでしまいましたが、単発での受講も可能ですので、今後の日程の中で関心のあるものがあれば、是非どうぞ。                  現在第Ⅱ期の受講生を募集中です。ここでやるのは「聴く」「話す」などのコミュニケーションの基礎。「参加者の声」にあるとおり、ここでの学びは、日常の対人関係にも活かせます。                  そして電話相談を取るためのプログラムが、次の頁で紹介されている第Ⅲ期です。この頁の下のほうで紹介されている「さかい・おんな電話相談」が、私たちの電話相談です。                             電話相談に関心のある方は是非 受講して、私たちの仲間になってください。NPOFC学会・堺の仲間たちは、このブログの更新頻度を見てもお分かりの通り、みーーーーーんな、のんびりした、気のいい人ばかりです。                    











































最後にチラシの裏表紙のご紹介.。本当はPDFファイルをつけたいのだけど、やり方がわからないので、ご勘弁を。

 (PON子)