2012年3月24日土曜日

「レズビアンマザー・家族の自死を見つめて」の再放送

NHKのEテレ「ハートをつなごう」の「レズビアンマザー・家族の自死を見つめて」の再放送を見ました。www.nhk.or.jp/heart-net/hearttv/  取材を受けた二人はベロ亭のケイコさんとヒデコさん。ケイコさんは日本語教師であり、詩人。ヒデコさんは陶芸家。二人は35年にわたり、生活を共にし、5人の子どもを育ててきました。二人はこれまで(取材を受けるまで)、二人の関係を伝えることなく、地域で暮らしてきました。

「母子母子家庭」あるいは「母母子子家庭」という理解、二つの母子家庭が助け合いながら一緒に暮らしているという周囲の理解を是正することなく暮らしてきた二人が、取材を受けることとなった背景には、彼女たちの子どもの死がありました。亡くなったのはケイコさんの娘さんののえさん。放送の中では、限りなく事故死に近い自死と説明されていました。のえさんは、生前「二人の母がいてよかった」という言葉を、二人の母に贈っています。

映像の中でケイコさんは、「私が産みの母だから、『ケイコちゃん大丈夫?』と、人は聞いてくる。自分に余裕があるときには、『ヒデコちゃんにも聞いてあげて。ヒデコちゃんも大丈夫じゃないんだから』と言う」と、話していました。家族なんだから当然と言えば当然なのだけれど、そのときの自分たちのことをヒデコさんは「隠された家族」「秘密の家族」と説明していました。

ケイコさんとヒデコさんが語る場面で、「フェミニズムの運動をしている女性たちが運営するお店」と紹介されているのは、残念ながら閉店してしまったカフェどれみふぇです。そこで聞いた言葉で、印象に残っているものに、ヒデコさんの「のえが死んだとき、この人(ケイコさん)がいなかったら、自分はどうしただろう」というものがあります。

今の社会では、何かあると、特に冠婚葬祭のような出来事に関しては、とにかく家族が優先です。しかしその家族とは法律婚の家族であったり、男女のカップルを中心とした家族であったりで、同性婚の家族は含まれていません。たとえ家族のように暮らしていたとしても、「法律婚のカップルを中心とした家族」のほうが優先されます。たとえば友人同士で家族のように暮らしていたとしても、あるいは、子どもや高齢者など弱者の世話をしながら家族のように暮らしていたとしても、です。

家族として社会に認知されていないと、何が起こるかというと、たとえば、手術の承諾、遺産の処理、等々で「家族のように暮らしていた同性婚の二人あるいは友人」より、「家族じゃないかのように暮らしていた家族」の意見のほうが尊重されます。「家族じゃないかのように暮らしていた家族」が、「家族のように暮らしていた二人」のあり方を理解してくれればよいのですが、そうはいかない場合があります。特に手術の当事者、亡くなる本人が「家族じゃないかのように暮らしていた家族」に対して肯定的な気持ちを持っていないような場合、たとえば虐待されていたとか、二人の関係を理解してもらえなかったなどということがあった場合、その人たちに自分の生老病死に関わる重大事を決定されるのは、耐え難いことだろうということは容易に想像ができます。そうした事態を避けるために、同性カップルの中には、養子縁組という方法で家族になっている人たちがいます。

しかし、さきほど書いたような友人同士で家族のように暮らしている人たちや、子どもや高齢者など弱者の世話をしながら家族のように暮らしている人たちはどうしたらよいのでしょうか。人生において何もかもが準備万端ということはありません。突然不幸が訪れたとき、今のように個人の生老病死に関わる決定を本人に代わってできるのは、「男女のカップルを中心とした家族」とされている社会では、共に暮らし、苦楽を分かち合ってきた人の思いは置き去りにされます。共に暮らしている者だからこそ知っている本人の意志も無視されてしまうかもしれません。

ケイコさん、ヒデコさんの、「秘密の家族」をやめるという決意は、二人が家族として暮らしてきた35年間に、そして家族として暮らしていくであろうこれからに正当な場所を与えるということです。もし「秘密の家族」のまま、どちらかがいなくなったら、いなくなったほうは透明人間になってしまう、「見えない家族」でもない「マイナスの家族」になってしまうというヒデコさんの言葉に、見えなくされてきた、その他の多くの人々の思いを感じ取ることができます。

時に抑圧的であり、暴力的でもある「家族」。その一方で、「家族」でありながら、「家族」と認められない「家族」もあります。非婚、離婚、再婚、事実婚、そして同性婚・・・・・さまざまな「婚」を人が選ぶようになりつつある現在、「婚姻」を持って「家族」が成立するという時代は、そろそろ終わりにしなければいけないのではないのかもしれない・・・・・・そんなことを考えながら見た再放送でした。   (PON子)

プエンテの会・ベロ亭日記 http://puentenokai.blog26.fc2.com/

2012年3月22日木曜日

「ふくしま宣言」への署名の呼び掛け

親愛なる日本の友人たちへ 

福島県知事は原子力に頼らず再生可能エネルギーを推進することを誓う、歴史的な「ふくしま宣言」を発信しました。私たちは迅速に行動を起こし、その他すべての都道府県もこのすばらしい先例に倣うよう働きかけることができます。 

史上最悪の災害に打ちひしがれた日本を、原子力に頼らず再生可能なエネルギーで発電するクリーンエネルギー社会へと導き、他国の模範とするチャンスがあります。各都道府県の脱原発社会を支持する声がどれだけ強いものか示すことにより、それぞれの知事に「ふくしま宣言」と同じ公約を誓い、原子力に脅かされることのない国にしていくよう働きかけていくことができます。 

力を合わせれば、世論は聞き届けられます。「ふくしま宣言」への支持を表明する個人的な誓いにご署名お願いします。さらに同じ都道府県に住むお知り合いの方々にも転送してください!私たちの地図をご覧いただければ、各都道府県から何名の方が署名したかわかります。多くの方からのご署名を頂きましたら私たちはメディアにも大々的に取り上げるよう働きかけ、残る46都道府県の知事にも未来の社会にとって極めて重要な福島県知事の立場を公言するよう訴えてまいります: 

http://www.avaaz.org/jp/fukushima_declaration_pledge_mf/?tta

世論によると、日本人の大多数が脱原発社会を支持しています。しかしこれまでのところ、断固たる行動で世論にこたえ公約を宣言したのは佐藤知事だけです。この危機的状況の中、日本は新の指導力を発揮できるリーダーを必要としていますが、それを実現できるのは世論の圧力のみです。個人的な誓いに署名し、佐藤知事のような勇気ある知事への支持を表明し、未だに判断をしぶる他の知事に圧力をかけましょう。 

どれだけ多くの人々が原発再稼働を中止するよう野田首相に訴えたでしょう。しかし首相は聞く耳を持たず、強力な原子力ロビー側についたのです。私たちが始めたこの取り組みを終わらせましょう。すべての都道府県において、どれだけ多くの人々が脱原発社会を支持しているのかはっきりと示すことができれば、各知事たちに「ふくしま宣言」に続くよう働きかけることができます。そしてついには野田首相が原子力の大害から私たちを解き放ち、再生可能なエネルギー革命に弾みをつけることができるのです。 

今すぐ個人的な誓いにご署名をお願いします。そして日本全国で私たちの訴えが耳をつんざかんばかりになるまで、メールやツイッター、その他ソーシャルネットワークも利用し広めてください: 

http://www.avaaz.org/jp/fukushima_declaration_pledge_mf/?tta

日本における市民の力は日に日に強さを増しています。私たちの訴えに応じるすべての知事やリーダーたちと共に、この国の新たな道を切り開いていくのです。希望を捨てず断固たる態度で、私たちと子孫のため、安全なエネルギー社会への転換、そして新たな民主主義の推進に臨みましょう。 

希望と決意を胸に 

ジェイミ、キア、アレックス、モーガン、ダリア、Avaazチーム一同 


Avaaz.orgは世界の人々の声や価値観が政策決定に反映されるよう世界規模でキャンペーンを行う非営利団体です(Avaazは様々な言語で「声」を意味します)。Avaazは政府や企業から一切資金援助を受けず、ロンドン、リオデジャネイロ、ニューヨーク、パリ、ワシントンDC、そしてジュネーブを拠点とするスタッフにより運営されています。

2012年3月21日水曜日

みかん売りお姉さん

昨夜のこと、家の近くで声をかけられた。何の用事かと思いきや、みかんの行商。なんばにある果物屋さんだと言う。持っているのは、というか残っているのは「せとかだけだ」が、買っていかないかと言う。車で来たのかと聞いたら台車に積んできたと言う。「なんばから台車ということはないだろう」ということに思いあたったのは、ずいぶん後になってから。なので、、「どこまで車できたの」というのは聞き損ねた。
昔の、おばさんが大きなかごを背負ってというイメージの行商ではなく、明るく元気なお姉さん。何かあれば、要するに不良品だったり、味が悪かったら、ここに電話くれとダイナミックフルーツというビラをくれた。あちこちに営業所があって、なんばの果物屋というのは、大阪営業所。こういう行商というのは今、はやりなのだろうか。

最近よく見るのは、黄色いジャンパーを着て、日本全国のお菓子を売っている青年たち。最初に見たのは、堺市の福祉祭りのときだったから、福祉施設の出店かと思っていた。その後あちこちで見る。「どういうグループ?」と聞いたら、お菓子屋だと言う。阿倍野にある全国のお菓子を扱う店で、こうやっていろんなお菓子を皆さんんにお届けしていると言う。お届けといっても、台車に乗せて道行く人に声をかけ売り歩いていているのだが、おばさんには声をかけやすいのか、しょっちゅう声をかけられる。
こちらも行商というイメージと違っていて、明るくて、フレンドリーで、福祉祭りのときに福祉関係者と間違ったような、ある雰囲気がある。
時々見かける、トラックに林檎積んだり、柿積んだりして売りに来ている本当に行商チックな人とは感じが違う。何なんでしょうね。

で、みかんは「せとか」ではなく、4つだけ残っていた「はまさき」というのを買ってみた。ぶどうのような味がするみかんなんです、とのこと。食べてみたらおいしかったけど、私の舌がにぶいのか、みかんの味しかしなかった。「あゆみじゃなくて、はまさき」という親父ギャグつきで買ったのがこのみかん。1個250円。ちょっと高めだけど、きよみとか、はるみとか、エトセトラのみかんと同じくらいかな。

そして昨日、このみかんを買った彼女、今日も夜の町にいた。毎日毎日、売り歩いているのだろうか。使用人の身です、と言っていたが、ただの使用人では、あんなに元気に明るく、ハードな仕事ができるとは思えない。
お菓子売りの青年たちにも同じような印象を持つ。何なの?彼らは・・・・・

2012年3月20日火曜日

東村さんのこと

先日、堺市の市民活動コーナーhttp://www.sakai-npo.jp/shimin/shimin.html にチラシの配架をお願いしに行ったとき、待っている間にさまざまな市民活動団体のパンフレットが置かれているスタンドをみていたら、このパンフレットがありました。
本当にびっくりしました。メンバーが配架を頼みに行ったとは聞いてない。じゃあもしかしたら東村さんが頼みに来たんだろうかと。ありえないことなのに、そう思いました。というよりも、思いもかけないところで東村さんにあったような気持ち・・・・。

思わず、「この人亡くなったんですよ」と言ったら、カウンターにいらした宝楽さんも「そうなんですよね。びっくりしました」と。夫さんから、メルマガの配信停止の申し出があり知ったそうです。そうだったんだ。あっちにも、こっちにも、東村さんのことを知っている人がいる。さすが東村さん。
「さかい・おんな電話相談のあゆみ」を配架しているのは、市民自主事業の報告資料なので、残っている間は、他の事業とともに配架し続けているとのこと。
そうか、東村さんが持ってきたんじゃないんだ、と当たり前のことを思いながら、でも何となく、ここでこれを見つけたのは、東村さんからの何らかのメッセージのような気がしました。

突然の訃報から3ヶ月が過ぎ、ご家族にとってはますます寂しさが増してくる頃だと思います。先日、夫さんがフェミニストカウンセリング堺の事務所にいらして、彼女の蔵書を寄付してくれました。
その本の紹介もまたFemi-Palニュースでいたしますが、今日は日本フェミニストカウンセリング学会ニュースに投稿した追悼文を以下に転記します。     (加藤伊都子)

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12月3日、フェミニストカウンセリング堺に衝撃が走りました。衝撃のもとは一枚のFAX.。そのFAX.には「東村アツ子は12月1日に逝去しました」と書かれていました。東村さんはフェミニストカウンセリング堺を拠点に活動を続け、2008年に、フェミニストカウンセリング堺で電話相談を始めました。最初は全国共通DVホットラインへの参加から始めた電話相談でしたが、現在は「さかい・おんな電話相談」と名付けられた独自の電話相談も行われています。また電話相談員養成講座の開催のために計画を練り、助成金を取り、イベントに参加し、とNPOFC学会・堺の電話相談を牽引してこられました。その講座も三期が終了。現在はその講座の修了生たちが相談電話をとっています。亡くなられたのは12月1日。また来週ね、じゃ次の介会合で、という約束もそのままに急に旅立ってしまわれました。あまりに突然だったために、今でも会合のたびに東村さんが来るのではないかという錯覚にとらわれる私たちですが、悲しみの中、東村さんの思いを受け継ぎ、電話相談を続けていくという決意を新たにしています。哀悼の念と、私たちの礎を築いてくれた先達の熱意と努力を大事にしていきたいという思いをこめて、私たちの仲間であった東村さんの訃報をお伝えします。 (NPOFC学会・堺 一同)





http://www.sakai-npo.jp/ml/ml-backh23.html

2012年3月19日月曜日

休眠状態のブログ。目覚めよ!いわき市ハワイアン報告

せっかくのFemi-Palニュース。休眠状態が続いています。目覚めさせるために、投稿を。

3月12日、郡山での仕事の翌日、福島でフラガールを見て来ました。
映画「フラガール」の、あのフラガール、福島県いわき市のフラガールです。
今は、昔よく聞いた常盤ハワイアンセンターという名前ではなく、スパリゾートハワイアンズという名前でした。

震災被害を受け、グランドオープンをしたのが、2月8日。それまでは仮設の舞台だったそうです。そしてその仮設の舞台の前は、全国キャラバン。キャラバンなど、震災後からグランドオープンまでのフラガールの苦労は、彼女たちを取材して作られた番組がありますので、そちらを見ていただくとして、私はハワイアンズの個人的報告を。

ホテルが満室で泊まれなかったので、郡山から日帰りでフラガールを見に行くことにしました。3月19日まではグランドオープン記念で半額。ホテルにも泊まりたかったな。

何しろ「ハワイアン」ですから、あったたかいというより暑い。泊まり客のみなさんはほとんど裸。プールもあって泳いでいる人もいる。濡れた体でもOK、なぐらい暑い。当方冬支度の格好ままでしたから気分が悪くなりそうなほど暑い。脱げるものはみんな脱いで、何とか耐えていましたが、ショーが始まったら暑いのを、すっかり忘れてしまいました。

少人数で優雅に踊るプログラムもありましたが、やっぱり大人数で賑やかに踊るのが、見ていて楽しい。こちらも元気が出ます。カウボーイのような格好で踊るもの、長めのスカートで踊るもの等、衣装も楽しい。男性ダンサーによる踊りもありました。火を持って踊る。なかなかに力強い踊りでした。
とにかく楽しんで、サービスのフラガールとの記念写真も撮ってきましたが、こちらは非公開。

舞台終了後、ダンサーたちはムウムウのような服に着替えて、施設内に出てきていました。場所を尋ねる客の案内などしていましたから、舞台が終わったら、施設内で働くのでしょうか。びっくりです。

映画「フラガール」の冒頭に「福島県いわき市」という文字が出てきますが、震災以降と震災以前ではその文字を見るこちらの気持ちが違います。石炭から石油へというエネルギー革命と言ったらよいのか、エネルギー政策と言ったらよいのか、に翻弄され、そこから立ち上がるために取り組んだハワイアンセンター。とても大きくてきれいな施設でしたが、そこに、今回の震災と原発事故。閉山からせっかく立ち上がったのに、原発事故だなんて「何すんねん」という感じ。福島県民ではないけれど、本当にそう思います。原発も石油から原子力へというエネルギー革命だったのでしょうが、炭鉱の閉山と原発事故とでは、インパクトが違う。再び立ち上がったハワイアンセンターのためにも、原発は廃炉。当然、関西電力の福井も停止、廃炉。その他の原発も停止、廃炉。そんなことを考えながら、でもハワイアンをしっかり楽しんできました。 (加藤伊都子)