2011年10月24日月曜日

サポートグループ「さくら」の3回~4回目

サポートグループ「さくら」で使用するワークシートのひとつに『今日の気分記録』というのが、
あります。
毎回、グループが始まる時に自分自身の気分をチェックします。

内容は、最悪の気分状態を「100%」として、現在の状況では「○○%」と数値におきかえます。
その気分に「名前」をつけて、その気分に影響を与えた出来事を書き出します。
この『気分記録』を、それぞれメンバーが、発表していきます。

3回目の10月5日(水)、いつものようにメンバーが、順番に発表していきます。

そして、私の『気分記録』の数値は「3%」。
次に、気分の「名前」が、「どうなんかな~」です。
影響を与えた出来事の欄には、「明日の仕事を・・・。休むことを選ぼうか・・・。決めないでおこうか」
と、明日の出勤をどうしようかと決められずにぐずぐず迷っています^^;

この発表後に加藤カウンセラーから、迷っている状況をたずねられました。

ここで内容をごく簡単に・・・
勤務先(心療内科)で「グループをやってください」と上司から提案があって準備段階の途中です。
なぜだか、同僚とうまくコミュニケーションが取れなくなって、漠然と出勤したくない気分でした。

この状況を、メンバーみんなで「分析」してくれました。

結果は、私の「自信の無さ」「夢が実現するとこわくなる」
すべてのことが、未定の中で、なにをどうやって進めていけばいいのか?はたして私に出来るのか?と、不安になっていたことが、原因でした。

◎とりあえずチャンスがあるからやる!
◎不安なことは、相談する。
◎同僚には、未定な部分も含めて、自分から報告する。

グループみんなで、私が、明日、出勤できるよう「認知と行動パターン」を考えてくれました!
 
★☆ 感謝です!☆★

そして、10月19日(水)の4回目。

「無事仕事に行けたこと」「同僚ともコミュニケーションがとれてスムーズに準備が進んだこと」を
報告することが、出来ました!

※悪い気分の数値は、わずか「3%」でしたが、私の心の中では、こんなにもいろんなことが、
 おこっていたのです^^;

※いつもながら「アウトプット」の必要性を感じた次第です。

そして、この日は「仕事」がテーマになり『あなたにとって仕事とは・・・』のワークシートを使って
グループで語り合い、「支配のテクニック」を学びました。

《メンバーからの感想より》
 ●仕事に対する自分のイメージが、親にすりこまれているものだったと分かってよかった。
 ●謎だった父の実像が分かってよかった。

次回は、11月2日(水)5回目です。
また、このブログで報告します。

世話人 木近 ちなみ

2011年10月20日木曜日

全国共通DVホットラインの電話番号が家庭画報で紹介されました


全国共通DVホットラインの電話番号が『家庭画報』11月号で紹介されました。



紹介された記事は「支配という名の暴力」という記事の中で、です。










小さな記事ですし、電話番号もひっそり紹介されているだけですが、こうした小さくひっそりしたメッセージでも、必ず必要な人には届くものです。身体的暴力だけがDVだと思い、精神的暴力に耐えている女性たちにこのメッセージが届くことを祈っています。掲載してくださった家庭画報さんに感謝。

2011年10月17日月曜日

ミラル*パレスチナに咲く花*

パレスチナについて気になり始めたのはいつ頃だっただろうか。
定かでないが思えば物心つく頃から、いつも頭のどこかにその名前があった。
1948年から1994年、つまりイスラエル建国宣言の年からホワイトハウスでオスロ合意の調印に至った年の翌年までのパレスチナ。この映画はその歴史の中で生きた女性たちを描いている。原作は、エルサレム生まれのパレスチナ人で主にイタリアで活動するジャーナリスト、ルーラ・ジブリールの自伝的とも言える本らしい。
 
冒頭のクリスマス・パーティが、まず意外だった。
エルサレムのパレスチナ人というイメージから遠い気がしたのだ。とは言っても、確かにここがキリスト教の聖地でもあることを考えれば、別段不思議はないのかも知れない。
もうひとつ意外だったこと。そのパーティで賑やかにお客をもてなしているのは、ヴァネッサ・レッドグレイヴではないか。この人をスクリーンで見るのはあまりにも久しぶりで、似ているけど本人?と一瞬訝しんだが、目の表情や雰囲気はすぐに「ジュリア」の頃を思い出させた。但し彼女は主役ではなく、サプライズのごとく登場したのはこの場面だけである。
 
パレスチナとイスラエルの間にある問題は、その起源を辿れば旧約聖書の時代にまで遡ることになり、生半可な知識で語るのは難しい。
パレスチナの人々の暮らしはどのようなものだろうか。自治区という名の占領地で暮らす人々、生まれた土地を追われ周辺の国々の難民キャンプで暮らす人々。パレスチナ人とひと括りにはできない複雑な違いはあるだろうが、目に浮かぶのは平穏な生活からはかけ離れた弾圧と、武力による攻撃にさらされる姿だ。
しかし、この映画の主要な舞台となっている“ダール・エッティフェル(子どもの家)”
は、まるでそこだけがユートピアさながらの別世界に見える。
これはユダヤ民兵組織によって親を殺され孤児となった子どもたちを養育するため、1948年、ヒンドゥ・ホセイニが私財を投じて設立した実在の寄宿学校である。彼女は1994年に死去するまで、生涯を孤児たちのために捧げた。

主人公であるミラルもこの学校で教育を受けた一人だ。
ミラルがここへ来るまでには、入水自殺してしまう彼女の母親を始めとして多くの人々の苛烈な人生が交錯している。母の死後、彼女は父によって慈しんで育てられたので孤児とは言えないかも知れないが、実はその父とは血縁関係がないことが後に明かされる。

学校の中は“守られた場所”だ。ヒンドゥは終始一貫して政治には関わらない姿勢で、その門の外側にある過酷な現実から子どもたちと学校を守ってきた。
ここで育てられ教育を受けた子どもたちは幸運と言っていいだろう。
しかし、17歳になったミラルは難民キャンプへの訪問をきっかけに、外側の世界を知ることになる。武装したイスラエル軍が突然現れパレスチナ人の家を破壊する。一瞬で生活の場を奪われ茫然と立ち尽くす人々。それが日常的光景になっているという理不尽を目の当たりにして、もう知らなかった時の自分には戻れないのだ。
やがてミラルは、投石による抵抗運動インティファーダにも参加し、活動家の青年とつきあうようになるが、、

この映画の監督、ジュリアン・シュナーベルはユダヤ系アメリカ人である。
彼の両親はユダヤ人互助組織に関わっていたという。
シュナーベルは元々画家であり、映画を撮るようになってからもアート畑の人というイメージがあった。彼がこの映画を撮った本意はどこにあるのだろう。
興味深いところだが、正直に言うと映画を観た後もそこがよくわからなかった。
彼女たちの実人生の重さに比して、その描き方は上滑りの印象を受け、焦点が曖昧な網羅的描写の底の浅さも感じた。期待して観たのだが、中途半端な気分が残った。

ミラルはパレスチナを後にして外の世界へ出て行く。
それが彼女にとって生き延びる道だったのだろう。ただ、そのことを即“希望”と言い表すことには引っかかりを覚えた。
パレスチナとイスラエルの関係は、和平へ向けてわずかに進展したかに見えてまた後退する繰り返しで、パレスチナの人々がおかれている状況は厳しいままだ。イスラエルの実質的な後ろ盾である米国は、解決に向けて動く気が有りや無しや、問題がたな晒しになっている感がある。
数日前のテレビには、パレスチナの国連加盟申請について演説をするアッバス氏の姿が映っていた。そのニュースを見ながら、私はパレスチナの音楽グループ、サーブリーンのことを思い出していた。                       
1992年に彼等は来日し、東京と京都の2箇所のみでコンサートを行った。天井の隙間から空が見える京大西部講で、私は彼等の演奏を聴いたのだ。
昨年来、巨大なうねりとなって中東の国々に革命をもたらした “アラブの春”、その風はパレスチナにも吹いているだろうか。


  そして仲間たちがなぜ奪われたのか
  なぜ僕たちの歴史が大破局を迎えたのか 
  二度も 三度も迎えたのか 
  その理由を知らなければならないのだ
                 

「故郷を愛する歌」  サーブリーンCD『預言者の死』より
     (2011.9.28 矢車菊 香)

2011年10月4日火曜日

サポートグループ「さくら」第11クールの2回目です。

以前より、サポートグループ「さくら」の活動を、取材させてほしいと依頼がありまして

9月28日水曜日に行われました。


精神保健福祉ジャーナル「ゆうゆう」/発行=萌文社

東京から取材に来られた方は、一年前、NPO日本フェミニストカウンセリング学会教育訓練講座で
知り合い、それからメールで交流を続けていました。

取材当日は、グループメンバーが気持ちよく取材に応じてくれて、さらにグループに同席することも
受け入れてくれました。

この日、グループを欠席、早めに帰らなければいけないメンバーからは、事前に質問を聞いていたので、ハガキ、ファックスなどを使って文章で回答してくださいました。

メンバー皆さんのご協力には、感謝しています。ありがとうございました。

ただいま、編集中とのことです。
出来上がるのが、楽しみです。

世話人  木近 ちなみ