2011年12月26日月曜日

サポートグループ「さくら」第11クールの最終回

12月14日水曜日。グループ「さくら」の最終回が、無事終了しました!

はじめに、参加メンバーからのうれしい感想をいただきました。
ご紹介します^^。

★☆★コミュニケーションカードより★☆★
(HP公開OKより)

適切な言葉で各自の悩みの根本的な原因となることを気付かせていただき、
さらに、その対処の仕方、心の持ち方を無理なく受け入れられる言葉で教えていただき、
今後の生き方にとても参考になりました。
ありがとうございました。

~~~~FC流認知行動療法~~~~~
うつに向かう認知(ものごとのとらえ方)、自分の考え方のクセに気付いて
今まで持ち得なかった方向からものごとをとらえてみて、さらに、対処、行動を変えてみよう
と、グループですすめてきました。

なかなか自分の中に根付くには、時間がかかります。
繰り返し繰り返しやっていくほかないのです。
メンバーの中には、何年もかけて「やっと光が見えてきた」「風穴が開いたようです」と
今回、話してくれました。
うれしいことです。

参加されるメンバーは、うつに向かう自分のことをどうにかしたい!と
自分と向き合っています。
日々の努力には、頭が下がる思いです。

私も、次のグループ開催に続くように、楽しみに頑張ります。
また、12クールの開催日程をブログでお知らせしますね。

では、良い年末年始をお迎えください!      世話人 木近 ちなみ

2011年12月9日金曜日

電話相談の東村あつこさん

12月4日(日)早朝、17年目の神戸ルミナリエへ行く支度をしながら、
いつものようにメールチェックしたところ・・・

「電話相談の東村さんが、お亡くなりになりました」という
突然の悲しい知らせを受け取りました。

NPOフェミニストカウンセリング学会・堺での「電話相談」というと「東村さん」。
繰り返しメールの文章を読んでも、ただ「なんで?どうして?なにがあったの?」と
おどろくばかりでした。

フェミカン堺では「やりたい人がやりたいことをする。やらない人はやりたい人の足を引っぱらない」
という考えがあります。

東村さんは、「電話相談をしたい」との思いを強く持たれていてコツコツと活動を続けてこられて
現在の「電話相談」をフェミニストカウンセリング堺で実現させた人です。

なので「電話相談」=イコール=「東村さん」なのです。

私は、NPOの会計を三年間担当していたこともあって「電話相談」の裏方で東村さんが、
たくさんの時間と労力を注がれていたのかを知っています。
時々、会計事務処理で小さな衝突もありましたが・・・^^;
といっても、私が一方的に「プッチ!」となっても、おだやかな東村さんは、いつも冷静に
対応してくださいました。

今となっては、ほんとうになつかしく思い出すとさみしいです。
なぜなら、「電話相談の東村さん」が、いなくなってしまったのですから。
人は亡くなるんだ・・・と、あらためて思いました。

「電話相談の東村さん」
ありがとうございました。安らかに・・・。合掌

「うつグループ」の木近 ちなみ

2011年11月23日水曜日

サポートグループ「さくら」の5回~6回目

「さくら通信」を作りました!
                                      ※デジカメの写りがイマイチです

グループをはじめてから6年の間、グループを継続させていくのに一生懸命で余裕もなくて^^;
自分では「どうにか10クールは開催させたい」との思いもありました。

そして、現在11クール目を開催しているのですが、やっと!グループを楽しみながら続けていこう
という思いに変わってきて「さくら通信」なるものを作ったりしています。

グループで話したこと、気づいたこと、学んだこと・・・など
その日の最後に参加されているメンバーのみなさんからのコミュニケーションカードの紹介など
をまとめて作成しています。

この通信を読むと、その日欠席していた人もグループの流れが分かったり、参加されていた人には
内容を再確認できるかな~という通信です。
実際に作っている私が、その日のグループでの出来事を思い出しながら新たな発見があったりで
学びを深めるのにとても良い作業になっています。

11月2日(水)の5回目、16日(水)の6回目は・・・『仕事』がテーマとなりました。
しんどい思いを話すことで「自分の責任ではなかった!」「自分だけが悪いのではなかった!」と。
 「なかなかこわくて一歩を踏み出せない」のも
 ↓
突き詰めればそこには「支配のテクニック」というものが、あった!と。

今まで知らなかったことを学んで、自分の過去~そして現在の状況~そして目標としている未来
を達成できるよう、あと2回(11/30・12/14)のグループの時間を大切に進めていきたいと
思っています。
                                       世話人 木近 ちなみ

★☆★ コミュニケーションカード(HP公開OK)より★☆★
     ◎自分の心の奥底まで気がついて本当によかったです。
     ◎今後も少しずつがんばっていきたいです。
     ◎すごくしんどくて頭がぐちゃぐちゃです。
     ◎参加できてよかったです。




2011年10月24日月曜日

サポートグループ「さくら」の3回~4回目

サポートグループ「さくら」で使用するワークシートのひとつに『今日の気分記録』というのが、
あります。
毎回、グループが始まる時に自分自身の気分をチェックします。

内容は、最悪の気分状態を「100%」として、現在の状況では「○○%」と数値におきかえます。
その気分に「名前」をつけて、その気分に影響を与えた出来事を書き出します。
この『気分記録』を、それぞれメンバーが、発表していきます。

3回目の10月5日(水)、いつものようにメンバーが、順番に発表していきます。

そして、私の『気分記録』の数値は「3%」。
次に、気分の「名前」が、「どうなんかな~」です。
影響を与えた出来事の欄には、「明日の仕事を・・・。休むことを選ぼうか・・・。決めないでおこうか」
と、明日の出勤をどうしようかと決められずにぐずぐず迷っています^^;

この発表後に加藤カウンセラーから、迷っている状況をたずねられました。

ここで内容をごく簡単に・・・
勤務先(心療内科)で「グループをやってください」と上司から提案があって準備段階の途中です。
なぜだか、同僚とうまくコミュニケーションが取れなくなって、漠然と出勤したくない気分でした。

この状況を、メンバーみんなで「分析」してくれました。

結果は、私の「自信の無さ」「夢が実現するとこわくなる」
すべてのことが、未定の中で、なにをどうやって進めていけばいいのか?はたして私に出来るのか?と、不安になっていたことが、原因でした。

◎とりあえずチャンスがあるからやる!
◎不安なことは、相談する。
◎同僚には、未定な部分も含めて、自分から報告する。

グループみんなで、私が、明日、出勤できるよう「認知と行動パターン」を考えてくれました!
 
★☆ 感謝です!☆★

そして、10月19日(水)の4回目。

「無事仕事に行けたこと」「同僚ともコミュニケーションがとれてスムーズに準備が進んだこと」を
報告することが、出来ました!

※悪い気分の数値は、わずか「3%」でしたが、私の心の中では、こんなにもいろんなことが、
 おこっていたのです^^;

※いつもながら「アウトプット」の必要性を感じた次第です。

そして、この日は「仕事」がテーマになり『あなたにとって仕事とは・・・』のワークシートを使って
グループで語り合い、「支配のテクニック」を学びました。

《メンバーからの感想より》
 ●仕事に対する自分のイメージが、親にすりこまれているものだったと分かってよかった。
 ●謎だった父の実像が分かってよかった。

次回は、11月2日(水)5回目です。
また、このブログで報告します。

世話人 木近 ちなみ

2011年10月20日木曜日

全国共通DVホットラインの電話番号が家庭画報で紹介されました


全国共通DVホットラインの電話番号が『家庭画報』11月号で紹介されました。



紹介された記事は「支配という名の暴力」という記事の中で、です。










小さな記事ですし、電話番号もひっそり紹介されているだけですが、こうした小さくひっそりしたメッセージでも、必ず必要な人には届くものです。身体的暴力だけがDVだと思い、精神的暴力に耐えている女性たちにこのメッセージが届くことを祈っています。掲載してくださった家庭画報さんに感謝。

2011年10月17日月曜日

ミラル*パレスチナに咲く花*

パレスチナについて気になり始めたのはいつ頃だっただろうか。
定かでないが思えば物心つく頃から、いつも頭のどこかにその名前があった。
1948年から1994年、つまりイスラエル建国宣言の年からホワイトハウスでオスロ合意の調印に至った年の翌年までのパレスチナ。この映画はその歴史の中で生きた女性たちを描いている。原作は、エルサレム生まれのパレスチナ人で主にイタリアで活動するジャーナリスト、ルーラ・ジブリールの自伝的とも言える本らしい。
 
冒頭のクリスマス・パーティが、まず意外だった。
エルサレムのパレスチナ人というイメージから遠い気がしたのだ。とは言っても、確かにここがキリスト教の聖地でもあることを考えれば、別段不思議はないのかも知れない。
もうひとつ意外だったこと。そのパーティで賑やかにお客をもてなしているのは、ヴァネッサ・レッドグレイヴではないか。この人をスクリーンで見るのはあまりにも久しぶりで、似ているけど本人?と一瞬訝しんだが、目の表情や雰囲気はすぐに「ジュリア」の頃を思い出させた。但し彼女は主役ではなく、サプライズのごとく登場したのはこの場面だけである。
 
パレスチナとイスラエルの間にある問題は、その起源を辿れば旧約聖書の時代にまで遡ることになり、生半可な知識で語るのは難しい。
パレスチナの人々の暮らしはどのようなものだろうか。自治区という名の占領地で暮らす人々、生まれた土地を追われ周辺の国々の難民キャンプで暮らす人々。パレスチナ人とひと括りにはできない複雑な違いはあるだろうが、目に浮かぶのは平穏な生活からはかけ離れた弾圧と、武力による攻撃にさらされる姿だ。
しかし、この映画の主要な舞台となっている“ダール・エッティフェル(子どもの家)”
は、まるでそこだけがユートピアさながらの別世界に見える。
これはユダヤ民兵組織によって親を殺され孤児となった子どもたちを養育するため、1948年、ヒンドゥ・ホセイニが私財を投じて設立した実在の寄宿学校である。彼女は1994年に死去するまで、生涯を孤児たちのために捧げた。

主人公であるミラルもこの学校で教育を受けた一人だ。
ミラルがここへ来るまでには、入水自殺してしまう彼女の母親を始めとして多くの人々の苛烈な人生が交錯している。母の死後、彼女は父によって慈しんで育てられたので孤児とは言えないかも知れないが、実はその父とは血縁関係がないことが後に明かされる。

学校の中は“守られた場所”だ。ヒンドゥは終始一貫して政治には関わらない姿勢で、その門の外側にある過酷な現実から子どもたちと学校を守ってきた。
ここで育てられ教育を受けた子どもたちは幸運と言っていいだろう。
しかし、17歳になったミラルは難民キャンプへの訪問をきっかけに、外側の世界を知ることになる。武装したイスラエル軍が突然現れパレスチナ人の家を破壊する。一瞬で生活の場を奪われ茫然と立ち尽くす人々。それが日常的光景になっているという理不尽を目の当たりにして、もう知らなかった時の自分には戻れないのだ。
やがてミラルは、投石による抵抗運動インティファーダにも参加し、活動家の青年とつきあうようになるが、、

この映画の監督、ジュリアン・シュナーベルはユダヤ系アメリカ人である。
彼の両親はユダヤ人互助組織に関わっていたという。
シュナーベルは元々画家であり、映画を撮るようになってからもアート畑の人というイメージがあった。彼がこの映画を撮った本意はどこにあるのだろう。
興味深いところだが、正直に言うと映画を観た後もそこがよくわからなかった。
彼女たちの実人生の重さに比して、その描き方は上滑りの印象を受け、焦点が曖昧な網羅的描写の底の浅さも感じた。期待して観たのだが、中途半端な気分が残った。

ミラルはパレスチナを後にして外の世界へ出て行く。
それが彼女にとって生き延びる道だったのだろう。ただ、そのことを即“希望”と言い表すことには引っかかりを覚えた。
パレスチナとイスラエルの関係は、和平へ向けてわずかに進展したかに見えてまた後退する繰り返しで、パレスチナの人々がおかれている状況は厳しいままだ。イスラエルの実質的な後ろ盾である米国は、解決に向けて動く気が有りや無しや、問題がたな晒しになっている感がある。
数日前のテレビには、パレスチナの国連加盟申請について演説をするアッバス氏の姿が映っていた。そのニュースを見ながら、私はパレスチナの音楽グループ、サーブリーンのことを思い出していた。                       
1992年に彼等は来日し、東京と京都の2箇所のみでコンサートを行った。天井の隙間から空が見える京大西部講で、私は彼等の演奏を聴いたのだ。
昨年来、巨大なうねりとなって中東の国々に革命をもたらした “アラブの春”、その風はパレスチナにも吹いているだろうか。


  そして仲間たちがなぜ奪われたのか
  なぜ僕たちの歴史が大破局を迎えたのか 
  二度も 三度も迎えたのか 
  その理由を知らなければならないのだ
                 

「故郷を愛する歌」  サーブリーンCD『預言者の死』より
     (2011.9.28 矢車菊 香)

2011年10月4日火曜日

サポートグループ「さくら」第11クールの2回目です。

以前より、サポートグループ「さくら」の活動を、取材させてほしいと依頼がありまして

9月28日水曜日に行われました。


精神保健福祉ジャーナル「ゆうゆう」/発行=萌文社

東京から取材に来られた方は、一年前、NPO日本フェミニストカウンセリング学会教育訓練講座で
知り合い、それからメールで交流を続けていました。

取材当日は、グループメンバーが気持ちよく取材に応じてくれて、さらにグループに同席することも
受け入れてくれました。

この日、グループを欠席、早めに帰らなければいけないメンバーからは、事前に質問を聞いていたので、ハガキ、ファックスなどを使って文章で回答してくださいました。

メンバー皆さんのご協力には、感謝しています。ありがとうございました。

ただいま、編集中とのことです。
出来上がるのが、楽しみです。

世話人  木近 ちなみ

2011年9月16日金曜日

第11回 サポートグループ「さくら」始まりました!

「再びうつにならないために~予防と回復のために~」を目的とした
サポートグループ「さくら」が、9月14日(水)から始まりました。

今回は、FC堺スタッフブログにも書かれていたように参加申込みが少なくて
グループ成立するかどうか、ぎりぎりまで分からない状況で、ちょっと心配もしましたが、
無事に第11回目を開催することが出来ました。

6年間続いているグループですが、やはり初回は緊張した思いでスタートします。
今回は、「初日なのに資料を作ってない!!!」という「夢」まで見てしまったぐらいでした^^;

「さくら」の初回に必ずメンバーにお渡しする資料の中に
「語り合いグループのルールとマナー」~私たちの時間を大切にするために~というのがあります。
安心して自分のことを語り考えられる場所をグループで作っていくために、みんなで確認しながら
読み上げていきます。

その後、それぞれの自己紹介が始まります。
初めてグループに参加される人、継続して参加される人、以前参加されていて今回久しぶりに
参加される人・・・いろいろです。
最後に世話人の私も自己紹介します。
自分のうつ病体験から、グループを始めようとした経緯、そして現在の状況など話します。

グループ後半は、加藤カウンセラーより認知行動療法の考え方の説明を受けながら
それぞれメンバーの語りを交えながら進んでいきます。
自らの体験や思いを話してくれる語りは、ゆっくりだけど一言一言が、ずっしりと重く、
響いてきます。

「再びうつになる前に、どうにかしたい。予防したい。」
この思いをもった人たちが、集まるサポートグループ「さくら」です。

最後にコミュニケーションカードの感想を書いてもらいました。
(その中でHP公開OKから)
・うつになるパターンが分かってよかったです。
・親の考え方にとらわれている自分を変えたいです。
・行動を変える勇気が出たらいいな。

次回は、9月28日(水)です。
また、このブログで報告したいと思います。

世話人 木近 ちなみ

2011年9月15日木曜日

9月定例会の報告

今日は毎月1度の定例会議。いつものメンバーのうち、一人は身内に不幸があり、欠席。一人は体調不良で欠席。今日の午後からめまい等、種々の症状が出て、医者に2~3日は安静にと言われたそうです。夏バテでしょうか。   お大事に。

 で、今日から新メンバーの参加です。全国共通DVホットラインのシステム担当をしている新田さんが今日から参加。第一回参加の今日は、全国共通DVホットラインの電話番号が『家庭画報』11月号に掲載されるという報告をしてくれました。「支配という名の暴力」というタイトルのDVに関する記事の欄外に「女性のための全国共通DVホットライン 0120-956-080 10時~15時(日曜・祝日・年末年始を除く)」と掲載されるそうです。
発行日は2011年10月1日とのこと。

一人でも多くのDV被害当事者の方に、この番号を知ってもらえるのはうれしいことです。特に今回のような記事、特集を通じて、精神的暴力の被害当事者が自分が受けているのは暴力なのだと気がついてくれることを願います。精神的暴力は、傍目にはその本質は見えにくく、被害当事者も自分が気をつければ、と考えがちです。その結果心身を病んでいった例は、全国の相談機関、支援機関でもいくらでも見られるのではないでしょうか。

その他の今日の議題は、10月29日に堺市福祉総合会館で行われる「堺市社会福祉大会 第9回ボランティア・市民活動フェスティバル」のこと。奇数月に1回行っているフェミニストカウンセリング研究会のことなどなど・・・。

堺市の男女共同参画交流の広場が三国ヶ丘の市役所別館から北野田駅前ののアミナス北野田に移転しましたが、思いの外行きやすく便利だったとのことでした。不便なら研究会の場所を考えなければいけないね、と話し合っていましたが、「とても便利!」ということで今後もフェミニストカウンセリング研究会は「堺市男女共同参画交流の広場」で行うことになりました。

11月の研究会では何をするかは、もう少し考えることになりました。

以上、簡単ですが、定例会報告です。(PON子)

2011年9月14日水曜日

「すべての原発停止を」                           国際環境NGOグリーンピースのネット署名

国際環境NGOグリーンピースからの
 「すべての原発停止を」ネット署名の呼びかけです。

本日グリーンピースは、『自然エネルギー革命シナリオ -
2012年、すべての原発停止で日本がよみがえる』
を発表しました。
http://www.greenpeace.org/japan/enelevo?gv20110912

このシナリオは、2012年春までに、日本国内のすべての
原子力発電所の稼働停止を想定し、原発にも化石燃料にも
]頼らない未来へのエネルギー政策を提案するレポートです。
同時に、電力も雇用もまかなえてCO2削減目標も
達成できる具体策も提示します。

そしてこのシナリオを、みなさんの
「2012年、すべての原発を停止してください」の声と一緒に
新政府に届けるためオンライン署名をお願いしています。

署名受け付けは、9月30日までです。
ぜひ、今すぐご参加ください!
http://www.greenpeace.org/japan/2012?gv20110912


ツイッターやブログなどで、周りの方にも署名参加を
呼び掛けていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。


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グリーンピースの活動をご支援ください
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グリーンピースは、政府や企業からの資金援助は、
活動に影響を及ぼす可能性があるため、一切受けていません。

わたしたちの活動を支えるのは、みなさまお1人お1人の
力です。ぜひ、温かいご支援をお願いいたします。
https://www.greenpeace.or.jp/ssl/support/supporter_form_html#form

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発行元:一般社団法人グリーンピース・ジャパン
〒160-0023 東京都新宿区西新宿 8-13-11 NF ビル 2F
Tel: 03-5338-9800  Fax: 03-5338-9817
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Copyright: Greenpeace Japan, all rights reserved
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2011年9月11日日曜日

パワハラを受けたときには/優位に立つとは/仕事とは    ~9月パワハラ研究会報告~


9月のパワハラ研究会は、9月8日(木)の午後7時から、アミナス北野田3階の新しい「男女共同参画交流の広場」で開催しました。
南海高野線北野田駅西出口からデッキで直結し、駅1分の便利な場所。

2006年6月にスタートしたパワハラ研究会がまる5年になるのを機に、5年間の取り組みを15ページにまとめ、振り返りました。

当日の話し合いの中からいくつかをご紹介します。
まず、いじめられる人のイメージーには「暗い、おとなしい、仕事ができない」というものがありますが、実はそれとは違う「明るい、行動力あり、仕事ができる」人の場合でも職場のいじめにあうことがわかっています。今回も改めて、そうした事例について話し合いました。後者に共通しているのは、「話せばわかる」と思っていることです。そして加害者がするようなえげつない方法でくやりかえすことができないことです。

やられたときに黙っていないことが大切ですが、そのときに、「なんでそんなことをするの?」という言い返し方はあまり役にはたちません。むしろ、「理由もわからないのか」などと、さらなる攻撃の口実を与えるだけということになりかねません。こういう相手とは、「どうして?」などと、一生懸命コミュニケーションをとる必要はありません。コミュニケーションをとろうとすればするほど、先ほども書きましたが、攻撃の口実を与えることになります。

次に、自分が優位に立つものの言い方について意見交換をしました。上からの物言いに対して拒否反応を持つ女性は少なくありませんが、これはもしかしたら女性の文化なのかもしれないということについて話し合いました。たとえばトップになった女性が、部下がするコピー取り、お茶くみをした場合、女性からは、あの人は立場が変わってもえらそうにしないと好感をもたれがちです。しかし、男性はそれを見て、そのトップの女性の評価を下げるということを聞いたことがあります。フェミの世界には男社会とは違うやりかたを目指そうという思いがありますが、こうした優位に立たないように配慮する姿勢を保持することの意味を改めて考える必要があるのではないかということが話し合われました。男性社会の中で男性と闘うことを考えたとき、配慮に満ちた低姿勢はいつも美徳となるとは限らないのではないだろうか、というのがパワハラ研が、今「もしかして?」と思っていることです。

最後に「仕事」というものの持つ性質、仕事の評価の難しさについて考えました。黙って自分が動いて仕事がスムーズに運ぶよりも、他の人の仕事ぶりに「ダメだ」「困ったもんだ」声高にいう方が、仕事をしているように見えるのではないかということが話し合われました。自分の存在感を示すためには、仕事がうまく運んではいけないという矛盾した話ですが、たとえば、男女共同参画センターは男女共同参画社会が実現したら、不要になる、というような構造的な矛盾と同じようなものが「仕事」というものにも内包されているのではないかという話し合いをしました。この仮説については、十分には話し合いができていませんが、おもしろい視点だと感じています。

上記の話し合いから引き続き、仕事の裁量の幅が狭く、ルーティンワーク中心の職場では、仕事に内包する喜びが少なく、煮詰まった不満がパート労働者を排除する方向へ振り向けられるということが報告されました。こうした職場ではパワハラが出やすく、最近の労働相談では、職場の人間関係の問題での相談が多いそうですが、これには職場の持つゆとりのなさも、影響しているとのことでした。

当日の話し合いの内容を簡単に報告しましたが、報告にあたって、詳細を省く、あえて曖昧な表現にする等、いくつかの操作をしていることをご了承ください。

パワハラ研究会では、対応に困っている管理職への提言も今後の課題としたいと考えています。
次回は10月の研究会もアミナス北野田3階「男女共同参画交流の広場」で開催予定です。この会は全くのクローズドではありませんが、全くのオープンでもありません。参加希望の方は現メンバーにご相談ください。                                                   (PH研究会)

2011年9月10日土曜日

DV離婚を後悔する相談者に対して                 ~フェミニストカウンセリング研究会、今日のテーマ~

今日北野田に移転した堺市男女共同参画交流の広場で、フェミニストカウンセリング研究会が行われました。人数はいつもより少なめの6名。ただ、電話相談員養成講座を終了した新メンバーの参加があったのがとてもうれしいことでした。

フェミニストカウンセリング研究会は、NPOFC学会・堺のメンバーによって構成されているフェミニストカウンセリングに関わる自主的な学習会です。何をするかが決められているわけではないのですが、そのときどきのメンバーの関心にそっていろいろなことが行われています。先回オルフェウス管弦楽団のDVDを見たことは、このブログでも紹介しましたが、今日は電話相談の対応についての検討を行いました。

相談電話で話される話の内容をどうとらえたらいいのか、あるいはどのような情報提供がふさわしいのか、その相談のポイントは何なのか等々、相談担当者の迷いはさまざまです。また初めて聞くような新しい問題に出会うこともありますし、あまりにも重い相談内容に、無力感を感じることもあります。こうした経験を持ち寄り、気づいていないことはないか、どのような対応方法が考えられるか等々、よりよい相談を行うために必要なことを話し合います。

今日のテーマは、DV離婚をしたものの、離婚後の生活がうまくいかず、離婚したことを後悔しているというような相談の場合の対応について参加者で考えました。DV被害を受けながら暮らす必要がないのは当然ですが、だからと言って離婚をしたら全てがOKになるというものではありません。

この社会で女性が生活をするのに十分な賃金を得るのは簡単ではありませんし、離婚がめずらしくなくなったとは言え、離婚に対するマイナスイメージは、今もあります。そのような社会状況の中で周囲からのサポートも十分に得られなかったとしたら、離婚したことを後悔するような気持ちになるのは当然です。こうした気持ちに寄り添いながら、それでもその人が自分の人生を肯定し、将来に、小さくてもいい、何らかの光を見出せるには何が必要なのかを話し合いました。

状況が整わない中で、希望や肯定的な気持ちを持つのはとても困難なことです。「前向きの気持ちを持って」などというのは、言うは易し、行うは難しの見本のようなものです。相談者にああしなさい、こうしなさいというのではなく、また相談者が疲れ果てた心身から、さらに力を振り絞って何とかするのではない方策なないものかと思います。

勇気を持って新しい生活に踏み出した女性を後悔のふちに叩き落すような、今の社会に何とかなってほしいと心から思った今日の検討会でした。             (PON子)

2011年8月27日土曜日

小田切牧子バイオリンコンサート


「フェミニストカウンセリング堺」15+1周年記念の「小田切牧子バイオリンコンサート」。NPOFC学会・堺も共催しとります。オープニングアトラクションを担当する「手品サークルびっくり箱」は、メンバーの中にNPOFC学会・堺のメンバーがいます。というわけでの今回の友情出演。そのほかにもNPOFC学会・堺は、受付のお手伝いetc.、etc.で、このイベントの成功にひとかたならぬ協力を・・・。しかるに、参加者の集まりがかんばしくないという情報。jこのところ休みが続いていたFemi-Palニュースでも情宣のお手伝いを、ということで、「フェミニストカウンセリング堺」スタッフブログの記事「コンサート開催にあたってのご挨拶と無料ご招待のご案内」を転載することにしました。おんなじ入り口から入るブログで転載もナニもないだろうという声が聞こえてきますが、&Femi-Palニュースなんか何人の人が見ているのだという声も、これまた聞こえてきますが、そんなことを言ってちゃいかん、協力の心は表現しないことには伝わりませぬ。同様によき情報は、あれこれいろんな手段を使って伝えるべき・・・ということで、「小田切牧子コンサート」よろしくです。単身女性とひとり親家庭の親と子は無料ご招待です。中学生以下の子どもも入場料不要。せっかくの太っ腹企画なので、是非是非皆さんご来場を。以下に「フェミニストカウンセリング堺」スタッフブログの記事を転載します。   (PON子)

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「フェミニストカウンセリング堺」は1995年4月大阪府堺市で、女性のためのカウンセリングルームとしてスタート、さまざまな問題に悩む女性の支援に取り組んでまいりました。
2011年の4、月開業から15年が経過、満16年目に入りました。その記念として、これまで私たちとともに歩んでくれた女性たちに感謝の気持ちをお伝えする企画をと考え、夏休みの最後の日曜日に、「みんなで楽しむ午後のひととき」と題したバイオリンコンサートを催すことといたしました。
   コンサートチラシ小これまでお世話になった方々はもちろんのこと、より多くの方々とバイオリンの調べを楽しみたいと考えておりますが、特に現在の社会情勢のもと、ひときわ厳しい立場に立たされている単身女性とひとり親家庭の親と子とを無料でご招待することといたしました。忙しく、不安に満ちた日常生活の、本のひとときではありますが、ゆったりとした、心豊かなひとときを持っていただけることを願っています。
小田切牧子さんは、関西のご出身で、ニュルンベルク交響楽団の第二バイオリン主席奏者としてご活躍されています。毎年夏期休暇の帰郷のおりに宝塚市でコンサートを開催されています。今回は、私どもの企画の趣旨をご理解くださり、お子さんも大人も楽しめるようにと楽曲を選定してくださいました。
福祉会館地図ひとりでも多くのシングル女性、シングルマザーとその子ども、シングルファーザーとその子どもの方々にご参加くださいますように。なお、中学生以下のお子様の入場料は、上記に関わらず、全て無料となっております。

8月28日午後2時開演です。皆様のお越しを、堺市総合福祉会館ホールでお待ちしています。


(フェミニストカウンセリング堺スタッフ一同) 

2011年8月3日水曜日

たぬきが増えました。

いたすけ古墳のたぬきです。
泳ぎます。

子だぬきです。
りんごをあげていたおじさんによると、4匹生まれたそう

 カメです。

>^^<
                                                                                      
大集合~!
youko

2011年7月29日金曜日

グループ「さくら」メンバー募集です!

再び『うつ』にならないために~回復と予防のために~

サポートグループ「さくら」第11回のメンバー募集中!です。
開催日は、9月14日(水)~12月14日(水)の全8回


募集ちらしは、フェミカン堺にあります。
 うつを予防するための「フェミカン流認知行動療法」(担当講師は、加藤伊都子カウンセラー)と
グループ世話人の「うつ」からの回復の体験談を交えながら、全8回で開催します。


なによりも、安心な場所で、同じ思いのメンバーが集まり、それぞれの体験を語り合える時間は、
マイナス思考を、少しずつでも変えていける「ちから」となることでしょう。

グループ参加ご希望の方は、ファックス072-224-0670へ、お申込みください。
グループへのお問い合わせもこちらのファックスでお願いします。
折り返し、こちらからご連絡いたします。

世話人、木近 ちなみ




2011年7月22日金曜日

「100000年後の安全」と「ミツバチの羽音と地球の回転」     * 震災後に観たふたつの映画をめぐって *    

                                       東日本大震災が起きてから4ヶ月が経とうとしている。
いつかは醒める悪夢ならあるいは映画の中の出来事だったら、と思わずにいられなかった光景は紛れもなく現実であり、それをどう受け止め何をしたら良いのか分からないままに日が過ぎた。新聞やテレビのニュースに釘付けになりインターネットで情報を探し、勉強会やデモに参加したり現地へ行ってきた人の話を聞いたり、本を読んだり義援金カンパしたり、せいぜいそんなことをしただけだ。
 季節は移り梅雨から夏へ。大雨や高温多湿が被災地の衛生状態を更に悪化させるのではないか。いまだに避難所生活を余儀なくされている人々のストレスは限界に来ていないか。         
 原発事故は収束するどころか深刻な状態が続いている。それが被災地の復興を妨げる原因にもなっている。放射能汚染さえなければ再開できたはずの、農業や漁業を始めとする地元の産業従事者が廃業に追い込まれる。線量値の高い地域に住む人々の健康、とりわけ子ども達への影響はどうなのか。情報が錯綜し確かな判断基準がない中、移住するにせよ留まるにせよ、多くの困難を伴うのだろう。待った無しの状況のはずだが、その解決の為に動くべき国の政治は又も混乱しているようで、何がどこまで進んでいるのかが見えてこない。
 そんなさなかに、原発に関連するドキュメンタリー映画を2本観た。

1本目は「100000年後の安全」。
フィンランドの放射性廃棄物最終処分場、オンカロが主役だ。
オンカロとは“隠された場所” という意味で、10万年は放射性物質が無害化するのに要する時間らしい。これは、その間壊れないことを想定して設計されたという、地下深く掘り進めながら建設中の貯蔵施設なのだ。
映画はマイケル・マドセン監督が、未来の人間に向けて語りかけるナレーションと
技術者や政府関係者、掘削作業員等へのインタビューを中心に進む。
 使用済みの“ゴミ”となってからも危険な放射線を出し続ける核燃料。(しかも10万年もの間?)そんなものをこの先ずっと使い続けることが果たして合理的だろうか。しかしここでの議論は、未来の人間がオンカロの扉を開けるか否か、現代の人間はどんな方法でメッセージを残せばよいかといったことに終始する。原子力発電そのものの是非については全くといっていいほど言及されない。
10万年間誰もその場所に近づかず気付かず、もし気付いても決して掘り起こさないことが安全を守る条件だというが、まずそれ以前にそれほどの長い間、どんな天変地異があるかわからないではないか。たとえ一国内では封じ込めたとしても、他の国で問題が発生すれば影響は免れないだろう。チェルノブイリがそうであったように、残念なことに今、福島原発の事故もそのことを示していないだろうか。撒き散らされ漏れ出した大量の放射性物質は、原発からの距離如何によらず風に乗り海流に運ばれ、日本だけでなく既にもっと広範囲に亘っているかも知れない。このまま進めば果たして10万年後、人類が地球上にまだ今のような形で住んでいるだろうか?

 映像はスタイリッシュで、怖さよりも美的な印象を受ける。原発内部で作業する白い防護服を着た人々を映した場面で流れてきた音楽のイントロを聴き、ん?これは!と思ったらクラフトワークの「放射能」だった。ここで思わずニンマリしてしまった。この映像にこの曲、70年代なら衝撃的だったかもしれないが、2011年の今、この古典的なテクノポップとの組み合わせはなんともレトロというか、、。クラフトワークがベタに似合いすぎるだけに、こう言っては何だがまるでミュージックヴィデオを見ているような気分になった。
この映画の製作は2009年。もし3・11以前に観たらかなり印象が違っていただろう。想像を超える出来事が実際に起き、今その渦中にいる人間にとって10万年後の議論は遠く感じる。しかし同時にその途方もない数字は、捨て場がどこにもない危険なもの、扱ってはならない代物に手を出してしまった取り返しのつかなさに思い至らせ、慄然とする。

2本目は「ミツバチの羽音と地球の回転」。
鎌仲ひとみ監督による日本映画だ。
中国電力が原発建設計画を進めている山口県の上関町田ノ浦。ここからわずか3.5Km先にある住民約500人の小さな島、瀬戸内海に浮かぶ祝島が舞台だ。
 美しい海と自然がもたらす豊かな恵み。そこで暮らす人々の日々の営み。
この島でとれる枇杷や魚や米等々、どれもが美味しそうで食べてみたくなる。
明るく穏やかで、慎ましく幸福に満ちた風景に原発の物々しさはいかにも不似合いだ。
もちろん不似合いなだけでなく、それはこの風景を一変させ、二度と元に戻せなくなるだけの恐ろしい力を持ってもいる。原発が建ち稼働すれば、原子炉を冷やすための海水が取り込まれ熱は海へ放出される。7度上昇した海水が、毎秒190トン海へ流され続ける。それは潮の流れを変え、海の生き物にダメージを与えるのだ。そして、ひとたび事故が起きればどうなるか。この映画は2010年製作だが、2011年の我々は既にそれを知っている。

この島の人々は28年もの間、建設反対を表明し闘い続けてきた。高齢化が進み、毎週行われているデモの参加者はほとんどが年配の人達である。シュプレヒコールも心なしかのんびりしていて思わず笑みを誘う。しかし、役場で職員や警備員とやり合う場面は壮絶だ。女性も男性も一歩も退かず逞しい。夜明けから日没まで毎日通い続ける、埋め立てを阻止するための行動はまさに命がけだ。海上で中国電力の社員と、それぞれの船の上から直接対決する場面は圧巻である。それは彼等の生活の中からじかに発せられる生の言葉だ。
全体から見ればミツバチの羽音ほどに小さなものが、強大な権力と対峙している図かも知れないが、その姿は誇り高く気概にあふれ感動的だ。

映画はまた、スウェーデンで自然エネルギーによる地域の自立に取り組む自治体を紹介する。オーバートオーネオ市では、木質ペレットを使った温水による地域暖房が使われている。ある男性は、「日本は森林があり自然資源が豊富なのに、それを使わないで石油を買い続けている。わけが解らないよ。」と言う。ストックホルムで、風力で充電している電気自動車に乗った男性は、日本では電力が自由化されていないと聞くと驚き、それは変えなきゃだめだと声を大にして言っていた。スウェーデンは12年前から電力市場を開放しており、消費者は電気を選ぶことができるそうだ。
祝島でも、エネルギー自給率を高めて島の生活を守りたいと考えている人がいる。Uターンしてきた山戸孝さんは32歳で島の最年少。彼は反対運動の活動と同時に、原発に依らない自立する道を模索してもいる。
 

福島原発の事故は世界中に波紋を広げ、諸外国で脱原発への動きが勢いを増している。
それは当然の成り行きだと思うが、それでも原発推進派の人達は原発なしで電力不足をどう解決するのかと言うだろう。しかし彼等とて、自身が被爆する事態になることは是としないだろう。確かに国内では、夏に向かって節電が喧伝されているが。
一方で、仮に全ての原発を停止しても、火力や水力で事足りるという意見もある。ただ、これらを増やせば大気汚染や環境破壊の問題が大きくなる。では自然(再生可能)エネルギーはどうか。つまり太陽光、太陽熱、風力、地熱、バイオマス等だが、これらも長所ばかりとは限らずコストの問題や安定的供給の難しさなどがあり、これだけで万事解決という訳には行かないようだ。
こういう時こそ専門家たちには本領発揮してほしいものだ。日本の優れた科学技術を、あらゆる頭脳、知識を総動員して持てるものを全て使って、(持続可能という語はいささか聞き疲れたが)破滅への近道とは別の、新たな方向を提示してくれないだろうか。


被災地から遠く離れた場所で、一見まるで何事もなかったかのように日常を送っている人々。私もその一人だ。しかし、あの日以来確実に何かが変わったのは間違いないだろう。多発する地震と多数の原発があるハイリスクな所に私たちは住んでいる。西日本でも、同じことがいつ起きても不思議ではない。
ただ、強い緊張に長く耐えるのは難しく、考え続けることも時には苦痛だ。それでも逃げずに考え続けるしかないのだろう。この先どんな社会を望み、そのために自分自身がどう生きるのか、どんな選択をするのか。そして今も被災地の人々が大変な状況にあることを忘れず、自分にできることは何なのか考えたいと思う。
                                (2011.7.10 矢車菊 香)

サポートグループ「さくら」フォローアップ講座開催

●なかなかできない!?「フェミカン流認知行動療法」+「リラックスの方法」を学んでみませんか~

FC堺の講座室にて、7月16日土曜日に開催しました!

2006年3月から「再びうつにならないために~予防と回復のために~」を目的として、サポートグループ「さくら」をはじめて、2011年5月に第10クールが終了しました。

また、9月から第11クールを開催する予定ですが、それがはじまる間の一日フェローアップ講座として、身体からリラックスする方法「気功」を、FC堺の指圧室から横山道子さんから教えていただきました。

10人の参加者+加藤カウンセラー+世話人=12人!
たがいちがいになりながら、横山さんの指導のもと、手・足をぶらぶら・・・ゆらゆら・・・キックもあり・・・座って、立って、寝転んで・・・心身とも気持ちよく、あっという間の60分!でした。

今後、この気功は、気分が落ち込んだとき、気持ちが落ち着かないときなどに取り入れてマイナス思考へ向かいそうな時に活用されるといいですね~~。

そして後半は、参加メンバーによる近況報告を交えながらの自己紹介。
一般の社会生活では「いえいえ、そんな、たいしたことでは・・・」などと、謙虚さを装いながらの話になることも多いのですが・・・
サポートグループ「さくら」の語りの場では、どんな小さなことでも「私ってこんなことが出来るようになった!」と、自画自賛!
「さくら」に参加していたメンバーが、それぞれにグループで学び、今も自分なりに「うつ」にならないようにとやっていることを、まとめてみました。

うつを予防する一つとして
①「マイナス思考」に向かいそうになっている自分に気がつく。
②気がついたら、その思考を止める(考えることをやめる)。
③マイナス思考を止めるための行動パターンを身につける。

個々に③のパターンは、違うけれど「自分のマイナス思考パターン」に、早く気づくことが出来るようになったと、そして、日々進化していることを、みんなで再確認した楽しいフォローアップ講座の2時間でした。

世話人 木近 ちなみ

2011年7月17日日曜日

いたすけ古墳の住人~狸の一家~


いたすけ古墳に、たぬきがいました。
双眼鏡があると、よく見えると思います。
たぬきも人間を見ています。

以下はウィキぺディアからの転載です。

いたすけ古墳(いたすけこふん)は、大阪府堺市北区百舌鳥本町3丁にある前方後円墳
1999年に野生ののつがいが古墳に移り住み、200411月に新聞やニュースで報道された時は11頭の家族となっていた。狸は本来は夜行性なのだが、晴れた日の昼間などに前述の壊れた橋の上で日に当たる姿が見られた。


というわけですので、皆さんも一度たぬきの一家に会いに行かれては?

2011年7月15日金曜日

パワハラ研究会 ~クレーマーについての雑談から~

昨日のパワハラ研究会。パワハラ的言動を行う人のその他の言動から、彼はマリー・イルゴイエンヌさんの言うところの自己愛的人格障害にあたるのではないかという話から、話はいわゆるクレーマーと呼ばれる人の話に・・・

クレーマーといわれる人の三種の神器は
「お前、それが仕事やろ」
「こっちは客やぞ」
「金払うとんのや」・・・・となぜかコテコテ大阪弁になるのだが、そっちのほうが迫力あるのでご勘弁を。

これが公務員相手になると
「お前らそれが仕事やろ」
「お前ら税金で食うとるん違うんか」
「こっちはタッカイ税金払うとんのや」

あとは何でもこのバージョンで、教師が相手なら
「お前らそれが仕事やろ」
「こっちは子ども預けとんのや」
「お前ら教育者ちゃうんか。それでも教育者いえるんか」

医者が相手なら
「お前らそれが仕事やろ」
「こっちは患者や、素人や」
「お前ら医者ちゃうんか、それで医者言えるんか」と、まあこんな感じ。

ここで力を持っているのは、金を払っているのはこっちやという物言いと、こっちが客だという権利の主張。専門性に対する敬意も、相手の労苦へのねぎらいも、それなりの事情がおありだったんでしょうネという配慮も何もあったもんじゃありません。何でこんな社会になっちゃんだんでしょうね。

正当な要求あるいはクレームとクレーマーとの違いはどこにあるか。

うーん、わからない。だけど、クレーマーと呼ばれる人は、とにかくとにかく自分の思うとおりじゃなきゃやだ、自分が大事にされたと感じられないからやだと、そんなものが根っこにある印象。そしてその不満を、客だの、金だの、仕事だのを持ち出して満足させようとしているような気がするのだが、どうだろう。

客だの、金だの、仕事だのってのはわざわざ言われてなくてもわかること。
「そのとおりです。わかってますよ。それで?だから何だって言うんですか?」と言わせないのが、クレーマーのクレーマーたるゆえんでしょうかね。                 (PON子)

2011年7月14日木曜日

響け 命よ! 千早赤坂JAZZ Night ~Don’t Kill concert 2011

11回にわたって掲載したSwingMASA講演「私とカウンセリング」いかがでしたか?当日は、笑いあり、感心あり、感動ありだったのですが、それらをお伝えする技がなく残念です。それとMASAさんをご存知の方はおわかりだと思いますが、MASAさんはもっとコテコテの大阪弁。聞く分には問題はない、むしろ暖かく、ユーモラスな感じもあって、いい感じなのですが、それをそのままに文字にすると、とても読みにくい。というわけで、少しだけ大阪弁風のニュアンスを残して、書き言葉に整理しました。こうすると概要はお伝えすることはできるけど、やっぱり言葉の持つ活きいき感は半減する感じです。またいつかお願いしたいと思いますので、今回参加できなかった方は、次回は是非ご参加くださいますように。

講演録の掲載が終わったところで、改めてMASAさんのコンサートのご案内です。



7月17日、今度の日曜日、千早赤阪村のくすのきホールでDon’t Kill Concert が開催されます。3.11で、私たちは改めて、一人ひとりの命の尊さと平凡な日々の営みのありがたさとを思い知らされました。今も多くの人々が、日常の生活を取り戻せずにいます。それどころか原発の事故にいたっては、この日本の、そして子どもたちの未来に不安を感じずにはいられないような状態です。

こうした状況の中で準備された今年のコンサートのタイトルは「響け!命よ}です。一人ひとりの命をいとおしみながら、千早赤坂JAZZ Nightをご一緒に楽しみませんか?


以下にメディアに送られた紹介文と概要を貼り付けますので、ご覧ください。
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Swing MASA のサックス + ピアノ・ベース・ドラム・パーカッションと、全員女性のジャズバンド。若きアーティストたちが不思議ライフを展開する千早赤坂村に、今年もニューヨーク仕込みのジャズが流れます。
書のライブ、大画面に次々映し出されるインパクトのある絵画との絶妙なコラボ。そして、テーマは「命」。心にしみるメロディーとリズムの中に、命の尊さを奏でます。感動的な夏の夕べのひとときを体験してください。

昨年に引き続き、千早赤阪中学校の吹奏楽部の皆さんをご招待しています。また、今年は、東日本大震災被災者の方を無料ご招待します。避難されている皆さんのエンパワーのために、元気をなくしているすべての人の心に活力が戻るように、渾身の演奏を聴いていただきたいと思っています。



催し名: 響け 命よ! 千早赤坂JAZZ Night  Don’t Kill concert 2011
出演: Swing MASA Osaka Jazz Womyns
Swing MASA(サキソフォン、ボイス)、河野多映(ピアノ)、廣田昌世(ベース)、今井康鼓(ドラム)、池田安友子(パーカッション)、西村佳子(書)
日時: 2011年7月17日(日)  開場16:30  開演17:30
場所: 千早赤坂村 くすのきホール (0721-72-1300)
<送迎バス> ¥200  要電話予約 090-9870-1260
南海 金剛駅 15:00  16:00    近鉄 富田林駅 15:20 16:20
<タクシー> 近鉄長野線富田林駅より 20分

料金: 前売指定席¥4,000  前売自由席¥3,000  当日券¥4,000
     (チケットの10%は、東日本大震災被災地への義捐金カンパ)
申込・問合わせ: Swing MASA Jazz office
(Tel)090-9870-1260 (Fax)0721-93-5782
           swingmasa@me.com       http://swingmasa.blogspot.com/
主催: Swing MASA Osaka Jazz Womyns を応援する会
後援: 大阪府、千早赤阪村
以上

2011年7月13日水曜日

SwingMASA講演録(11) 最終回<私は決めた>  

向こうの大学は奨学金の申請ができるんです。自分は奨学金をもらうに値する人間なんだって言うのを英語で書いて申請するんです。ちゃんとした理由があれば必ずもらえます。私は最初は500ドルぐらいもらって、毎年申請したらどんどん増えて行って、最終的には4千ドルもらっていました。
申請すればするほど、手紙を書けば書くほど金額が増えていく。卒業してから、自分がもらったように寄付してくれというのは来ますけれど、別にしなくてもいい。返すことが義務付けられてはいないんです。とっても大きいと思います。
私は申請するときに、日本人の女性で、サキソフォーンをやっているのは珍しいから、あなたの大学が私を育てる価値があるんだみたいなことを書きました。マイノリティに援助すべきだと。あなたの大学で育った日本人のサキソフォンプレイヤーの第一号になるだろうとか、女性のサキソフォーンプレイヤーの第一号になるだろうとか、コンドウ先生と考えて書きました。

ネガティブなエネルギーの方向を変えることができたら、それだけすごいことが実現できると思います。その方向を変えるのは自分の力だけでは難しいですね。他人からアドバイスをもらったり、他人とコミュニケーションする中で自分を認識して、行動を変えていくことが必要なんだけど、その作業は一人ではできないと思います。自分でできる人もいるかもしれないけど、そんなに、みんな強い人ばかりではないと思いますし、自分で変えれるんやったらもうみんな変えてるでしょう。持って生まれた自分の資質のようなものはそんなに簡単に変えられないと思います。
マンツーマンのカウンセリングで、自分のうちにあるものを全部出して、組み立てなおさないと変えられない。全部出さへんかったら、あとで組み立てもできへんし、毒みたいなものが残ってしまう。それではやっぱり変えられないと思います。

カウンセリングのペースは、1週間にいっぺんぐらいが一番いいと思います。1カ月も開いてしまったら、また元の自分に戻ってしまいます。1週間に1回でも同じ失敗とか同じ心の癖とかを繰り返しますが、1週間に1回のカウンセリングを続けていたら、その癖が出てきた時に、前にも同じ事言うてたなあと気づくことができます。そしてそれを繰り返し、繰り返し、打ち消していく。そうやって軌道修正をしていくのを何年間か続けないと、なかなか変わらないと思います。私一人だったら、絶対そんな風にはなれてないと思います。皆さんも1週間に1回、3年から5年、カウンセリングを受けられたら、きっとその効果を実感できることと思います。


最後に詩を朗読して終わりたいと思います。セルフエスティームをうまく語った詩です。

この詩は、向こうのファシリテーターを呼んでセルフエスティームのワークショップをやったときにその人が英語で読んだ詩がもとになっています。
その詩は、どこから来ているのか、その詩をいろんな人の前で言ってもいいかと聞いたら、どんどん言ってくれと言われました。その詩は結婚式の牧師が言う言葉の主語を、私に置き換えて作ったものだから、自分が作った詩でもないのだと。
それで、その人が読んだ詩を意訳して、カウンセリングで得たようなこと、できなかった私を責めないとか、失敗した私を許してやるとかを付け加え、ミュージシャンなので、心の声に耳を傾けながら自分のリズムとテンポでという表現を付け加えてまとめたものです。
タイトルは「私は決めた」です。

私は決めた。
あるがままの私を受け入れると。
なぜなら私は私という人の
 始まりから終わりまで付き合う、唯一の人だから。
私は決めた。
できなかった私を責めない。
私は決めた、失敗した私を許してやると。
私は決めた。
常にあるがままの私で、
 それで十分なんだと、自分に認めてやると。
私は決めた。
私を愛し、尊敬し、大切にすると。
私は決めた。
私のベストフレンドに、私がなってやるのだと。
私は決めた。
残された私の人生を共に過ごしたいと
 思えるような、私になるのだと。
私は決めた。
私の心の声に耳を傾けながら、
 私のリズムとテンポで歩いていくのだと。
私は決めた。
あるがままの私を愛すると。

どうもありがとうございました。
      (テープ起こし担当:YOUKO)

SwingMASA講演録(10) <サキソフォンプレイヤーとして永住権をとる>


私はネガティブ思考には自信があります。根がネガティブ思考なので、ほったらかしにしてたら、なんぼでもネガティブ思考になって行っていたと思うので、本当に、カウンセリング受けて良かったと思っています。

先生は、強いネガティブ思考のエネルギーは、方向を変えたら、その強さの分だけ自己実現のためのエネルギーになると言うんですね。私の強いネガティブ思考は、方向を変えたら武器になると言ってくれて、「ああ、そうなんや」と、それも目からうろこでした。

1週間に1回のカウンセリングを5年間受けて、そろそろ一人でやって行ったらとなって、最後の半年ぐらいはゴールに向けてのカウンセリングをやりました。最終日のカウンセリングはほんとにオイオイ泣いて終わりました。これからは一人でやって行かなあかんなと思いました。

それでちょっと一人でやってたんですけど、人間関係でトラブってしまいました。多分私自身が変わったので、今までの人間関係の作り方で知り合った人たちとかみ合わなくなったんだと思います。それまでサポートしてくれていた人たちは、できない私、失敗する私、自己実現できていない私だからサポートしてくれていたのかもしれないと思います。コンサートの実行委員会で「なんでいつもMASAのサポートせなあかんねん」みたいなことを言われたりもしましたが、それまでにとても世話になった人たちなので、そのときも何と言ったらよいのかわかりませんでした。そしてどんな風に、その人たちと付き合ったらよいのか悩んだのですが、今までとは違う付き合い方がその人たちとはできずにいました。

それで、ニューヨークに帰ったときに、また日米カウンセリングセンターに行きました。そのときは、コンドウ先生はドクターを取るために大学に戻ってはって、センターにはいませんでした。それで、違う先生のカウンセリングを3年ぐらい受けました。3年ぐらい経った時に、コンドウ先生が卒業しはって開業したということを、そのカウンセラーが教えてくれて、そちらに通うことになりました。

大学を卒業したあと1年間ぐらいは、プラクティカルトレーニングというのがあって滞在できたんですけれど、もうちょっとニューヨークにいたいなあと思いました。それまでも、ずっとニューヨークに住んでいたいという気持ちがありましたので、永住権を取ろうかどうしようか考えました。その判断をするために、いろんな人の話を聞いたんですが、何年もかかるということで、すごく迷いました。どうしたらいいか判断しかねてカウンセリングで相談したら、「そんな2年や3年は、あっという間に経ちますよ」と取得の後押しをされました。

とは言え、取り方がかわからなかったのですが、カウンセリングで、日本人向けにグリーンカードの取り方の講演会を弁護士がやっているのを教えてもらいました。ステイタスの事で悩んではる人らがたくさんいて、困っている人たちはみんカウンセリングに行っているので、そういう情報もカウンセリングセンターに集まってくるんですね。それで、その講演会があることを、先生に教えてもらって、出かけていきました。
 そこで相談したら、アーティストで永住権を取ってみませんかと、弁護士にいわれました。それだけ、日本のいろんな所でコンサートをやっているんだったら、サキソフォンプレイヤーで永住権が取れるんじゃないかということでした。弁護士が言うには、ビザを取るのも永住権を取るのも同じパターンなので、ーティストビザが取れたら、永住権も取れますよということでした。それでまずビザを取ってみましょうということになりました。バードランドで3カ月に1回コンサートをしているのなら、バードランドがスポンサーになってくれませんかねと弁護士さんが言うので、バードランドのオーナーに聞いてみました。スポンサーとして契約書にサインしてくれへんかって聞いたら、「何ぼでもやってやるで」「とりあえず持っといで」と言ってくれたので、弁護士さんが作ってくれた契約書を持っていって、サインをしてもらいました。
それで、まずアーティストビザが取れました。次にそのパターンで、同じように永住権の申請をしたら、永住権も取れました。それまで、Jazzサキソフォンプレイヤーで、永住権を取った人はあまりいてないと思います。たぶん私が最初じゃないかと思います。

Jazzプレイヤーで永住権なんかなかなか取れないとみんな思っていました。だからみんなジャズプレイヤー以外の方法で永住権を取っていました。たとえば普通のレストランで働いて、レストランから永住権を得たりとか、日本語と英語の文化的な橋渡しをするのに役立つ特殊技能のを持っているというので、特殊技能のH‐1ビザを取ったりとかしていました。つまり、真正面から自分の本業で、ビザや永住権を取ってはれへんのですよ。
私はカウンセリングを受けていて、そこで得た情報で、弁護士に相談することができて、その助言で真正面から自分の本業で永住権を取ることができました。

そのことは、サキソフォンプレイヤーとしての私の自信につながりました。そして今度は、サキソフォンプレイヤーでビザを取ったり、永住権を取ったりしたんだから、もっとその活動をしなければとなっていきました。サキソフォンプレイヤーとしての仕事や活動をするように、自分で自分をが仕向けて行って、いろんな所で仕事をするようになりました。った感じです。
世の中には、そういう活動をしているのを、見てくれてはる人がいて、推薦してくれたんだと思いますが、2001年に大阪府のプリムラ奨励賞をいただきました。カウンセリングを受ける以前の裏街道(ばかり歩いていたのとは違って、表街道も、少しは歩けるようになってきた感じがしています。

明日は最終回。講演の最後の部分と講演終了後の質問部分とを編集してお届けします。
タイトルは<私は決めた>

2011年7月12日火曜日

SwingMASA講演録(9)<自己実現への道> 

そういうロールプレイをやってくれるのはカウンセリングの場以外ではありませんし、すごく助かりましたが、カウンセリングで一番すごいと思うのは、先生との信頼関係です。1週間に1回のカウンセリングを1,2年ずーっとやってきたら、ある程度の信頼関係ができてきます。先生には守秘義務があるので私の秘密は一切しゃべらない。私も誰にも開かない心の窓みたいなのを開いて全部先生に打ち明ける。そうやって自分の気持ちを言語化して、自分の心の状態を認識し始めるわけです。

最初は受け入れてくれるばっかりです。話をすごく聞いてくれるし、落ち込んでたら慰めもしてくれるし、私の望んでいることを言うてくれる。たった一人の、世の中で一番の、私の良き理解者にカウンセラーがなっていくんですね。その中で、ある程度の時期をこえたら、私自身の弱い所を補強するために、いろんなアイディアを出してくれたり、私の見たくない部分を指摘してくれたりするようになります。

その時には、それまでと違って居心地が悪いので反発もしました。その頃私がコンドウ先生に一番言ったのは、先生は男やし、フェミニストの視線がないから分からへんのですよということでした。それをすごく言いました。
その当時日米カウンセリングセンターには3人ぐらいの先生がいましたので、女性のカウンセラーに変えてくれということをしきりに言いました。でも、カウンセリングは、スーパーバイザーもいるし、カウンセリングの状態についての話し合いもするので、カウンセラーを変えても、方向は同じですよと言われて、あきらめて先生のカウンセリングを続けることにしました。そこらへんから、もう一歩突っ込んだカウンセリングになっていきました。自分の成長期に先生が関わってくれてはる感じがすごくしました。

それまでの私は、は小さい子が、できへんことを、いやいやって駄々をこねてるような状態でした。カウンセリングを受ける中で、ちょっと落ち着いてきて、ほんとにそれができるかできないか見定めてみようという風になりました。そしてやってみたらできることもあるんじゃないかという感じの示唆もカウンセリングの中でもらいました。
それまで、私は、その内容や中身について踏み込むことをせずに、何もしないで、そんなのできへんと、そんなんできへんと言うてたんですが、それが、ほんとはどうなのかを考える段階に入っていきました。それは今までの私には全然なかったことで、面白かったですね。

たとえば、在学中に、自分がリーダーでバンドを組んで、自分の作った曲を演奏するということをしました。それまでは自分のバンドを作るなどという発想すらありませんでした。誰か、すごいミュージシャンが私を見つけてくれて、バンドに入れてくれはらへんかなみたいな、そんなことしか考えてなかったんですね。

自分の作った曲で、自分が表現したい内容を自分のバンドでやってみる。考えもしなかったことをまずやってみました。そしてやってみたらできたんですよ。それまで私は、ボーカルの女の人やピアノの女の人がライブをやっているのを、嫉妬しながら見ていたんですけど、そのバンドのデモテープを作って、私のライブやってもらえませんかと、ライブハウスに持って行くようになりました。そんなことも「やってみませんか」というカウンセラーのアドバイスではじめたことでした。そう言われて、だめもとで、ほんとにだめもとで、やってみたんです。               
 そのだめもとで引っかかった所に、バードランドという、名の通った、向こうでは老舗のライブハウスがあります。「私、ウーマンズバンドをやっていて、ここでライブやりたいんだけど」というのを、話した相手がそのバードランドのオーナーやったんです。「誰に言ったらいいんですか」って聞いたら、「僕がオーナーや。僕に言うてくれ」って。

それで、いつやりたいんやとか、日にちまで聞いてくれました。日本人ばっかりのウーマンズバンドを「面白いな、いっぺんやってみるか」みたいに言ってくれて、契約書まで書いてくれました。それで、一回やりました。一番最初のライブだったので、私も気合を入れて、満席になるぐらい人を動員しました。結果、そのライブ自体は大成功となりました。
結構人も動員しましたし、演奏についても女性のJazzもなかなかいいじゃないかみたいな感想も得られて、じゃ、3カ月にいっぺんぐらいやってくれるかという話になりました。

それまですごい嫉妬していた人たちがやっていたライブハウスは、誰でもが出られるようなところでしたが、バードランドというのは誰でも出られるようなところじゃないんです。そこに引っかかったというのは、自分でもびっくりで、すごいうれしいことでした。

私は、そういう自己実現みたいなことを描いてニューヨークにいったわけではないんです。とにかくJazzを浴びるほど聴きたいということで、ニューヨークに行ったんですけど、カウンセリングを受けることで、ひそかに夢見ていた、憧れていた自己実現が、ドリームカムトゥルーというか、少しずつ形になっていきました。

今ではいろんな日本人のJazzミュージシャンが老舗と言われるようなところに出られるようになりましたし、いろんな人がいいライブハウスに出ていますけど、当時はそんなに誰もができるようなことではなかったのです。バードランドに出られるまでになれたというのは、その頃の私にとっては、ここまで来れたらもうそれでええわというぐらい、うれしいことでした。そういう風な道筋も含めて、カウンセラーのだめもと精神のアドバイスがなければ、そこまで行ってなかっただろうなあと思います。根が強いネガティブ思考なので、一人ではできていなかったと思います。



(明日は<サキソフォン・プレイヤーとして永住権をとる>

2011年7月11日月曜日

SwingMASA講演録(8)<大せつなのはセルフ・エスティーム>  <引っ込み思案のサキソフォン。プレイヤー>>

7月17日に開かれるDon't Kill Concertは、セルフ・エスティームと深い関わりがあります。自分が生まれてきたことを喜ぶのと同時に、すべての人の生を尊ぶコンサートです。

<大切なのはセルフ・エスティーム>
30歳過ぎてから大学に行き直すという発想は、日本にいたら持てなかったと思います。そういう発想は、私にも、私の周辺にもありませんでしたので、やっぱりカウンセリングを受けて得たことだと思います。

カウンセリングで得た一番大きなことは、セルフエスティーム、自尊心です。自分という人間とちゃんと付き合って、自分という人間をちゃんと尊敬してやるということでした。自分を大切にするということは、今までの私のポリシーにはありませんでした。人を大切にするというのは、ちっちゃい頃から、お母さんとかに刷り込まれてきましたが、自分を大切にするということは教えてもらっていませんでした。お母さんは、自分を大切に生きてきはった人ではないので、そういうことはあまり教えてくれませんでした。
自分を大切にすることが一番大事なんだということを、カウンセリングで学びました。自分という人間との付き合い方が、人との関係の作り方に反映して行くというのも、そのカウンセリングでわかっていきました。

当時同じようにJazzを学びに行ってた日本人の女性の友達たちも、みんなカウンセリングにも行ってましたし、カウンセリング仲間のネットワークができていましたので、カウンセリング仲間で、自分を大切にするためのイベントを何かやろうじゃないかということになりました。そうして始めたのが誕生日パーティです。自分で自分の誕生日を祝う。他の人は、みんなでその人の家に行く。一品持ち寄りで集まってパーティーをするというのをやり始めました。それは結構何年も続きました。
自分の誕生日を自分で祝うっていうのはセルフエスティームの基本だと思います。それをやって、生まれてきて良かったなあと思えるのはすごく大事なことだと思います。

<引っ込み思案のサキソフォン・プレイヤー>
カウンセリングを受けている仲間同士でも、みんなJazzやっていますから、葛藤もありました。私はなかなか人前で演奏する機会を得ることができませんでした。自分のライブパフォーマンスをする機会がなかなか持てなかったんですが、、他の人、ボーカルの人やピアノの人たちはどんどんライブをやっていっていました。自分のコンサートをやっていっていました。それなのに私はなかなか自分のライブがやれなくて、そういう人の自己実現の様子を見ていたら、うらめしいというか悔しいというか、むかつくと言うか・・・・。失敗しはったらいいのにと思うぐらい面白くありませんでした。人の自己実現を喜べない私がいました。
ジャムセッションでも、ボーカルの子はすぐ順番が回って来るのに、私いつも飛ばされていました。サックスという楽器は、他に男のプレイヤーもいっぱいましたし、男性のサックス吹きは、だいたいみんなすごく自己主張が強い。私が、私がみたいな感じで、ライオンとかトラみたいに、自己主張が強い。引っ込み思案のサキソフォーンプレイヤーなんていないんです。引っ込み思案のトランぺッターも少ないんですけれども、引っ込み思案のサキソフォンプレイヤーもいない。

私は、サックスプレイヤーなんだけど、女性で引っ込み思案で、なかなか次は私の番だと言えない。当ててもらうまで、待ってしまっている人間でした。そして、当てられても、自信なさそうにしていたら飛ばされるんです。そんなので、いつまで経っても自分の順番が回ってきませんでした。
カウンセリング仲間の、ヒロちゃんという、ボーカルの子がいたんですけど、いつもちゃんと自分のパフォーマンスをする子でした。あるとき、私には順番が回ってこないのに、後から来たその子が歌ってしまったんです。すごいショックで、悔しくて、もう石があったら投げたいぐらい腹が立ちました。そういう事が何回か続いて、それをカウンセリングで話したところ、また先生がロールプレイしてくれたんです。先生が私役をやって、飛ばされそうになった時に、ちょっと待ってくれっていう言い方とかのロールプレイをやってくれたんですね。
それをそのまま、次のジャムセッションでやったら、うまいこと行って、ちゃんと吹けました。それからその方法を使うって、次から次へとジャムセッションでちゃんと吹けるようになっていきました。

(続きは明日<自己実現の道>)

SwingMASA講演録(7)<大金が入る/大学で学ぶ>

ニューヨークに行ってから3年目ぐらいに、久しぶりに日本に帰って帰国コンサートをやりました。その時に、私に大金が入ります。ニューヨークに行く前、大失恋の後に住んでいた部屋を私名義でいたんですが、そこが立ち退きになっていたんです。立ち退きの話は、ずっと前から持ちあがっていたんですが、そんなことはほったらかしにして、私はニューヨークに行っていました。周りの立ち退きは全部進んでいて、私のところ以外は全部立ち退いてました。私のところだけ、私の名義で借りてた分だけが残っていて、大阪市が私を探していたそうです。家主さんが、店子としての私の立ち退き料を預かってくれていて、戻っているならを渡したいということで、ポンっと何百万かの立ち退き料が私に入って来ました。

まるっきり棚からぼた餅のお金でしたが、今度こそはもっといい使い方をしたいと思いました。それまでそんな大金を持ったこともなかったので、これだけのお金が入ったんだけどという相談をカウンセラーにしました。相談の結果、Jazzの学校に行ってみたらどうだろうということになりました。それまでも、行きたいとは思っていましたが、自分の収入では、大学に行く授業料はとても出せないので、あきらめていました。あきらめてはいたけれど、jazz学科のようなところに学びに行けたらいいなあというのが、自分の深い所にはありました。それで、たまたまお金もできて、先生の後押しもあったのですが、そのときの私には、今から大学に行く3年間というのが、すごく長く感じられました。遠い向こうのことのように感じて、現実のこととして考えられませんでした。

グリーンカードや永住権の申請もそうなんですが、3年から5年かかるとか聞くと、そんなかかるのかといやになっていました。3年という時間がすごく遠いことのように感じられて、そのためになかなか決断ができずにいました。そのときに先生が、一生Jazzサキソフォーンプレイヤーとしてやっていく中での、23年はすごく短いし、そうでなくても23年なんてあっという間に経ってしまう、その中で得た知識や技術は、全て私自身の身につく財産で、人に取られることもない、邪魔になることも絶対にないと、アドバイスしてくれました。Jazzという音楽をやっていくのに必要な基礎や理論を知らないで、はったりだけでやっていけると思いますか」と。
それまでも、Jazzサックスの先生についてプライベートレッスンは受けていました。そうやって勉強はしていたんですが、理論も含めてきっちり習いたいという気持ちはありました。そんなことを考えていたら、先生に「だめもとでオーディションを受けるだけでも受けてみたらどうですか」と言われました。

先生はいつも私に「最初から行けると思わないで、だめもとで、何でもやってみたらどうですか」と言っていました。それは私にとってはすごいむずかしいことで、やるとなったら絶対通りたいと、そんな風に思ってしまうほうでした。今は「だめもと精神」というのはほんとに大事だと思っています。この「だめもと精神」は私がカウンセリングを通して得た、すごく大きな財産だと思います。
その時も、「だめもと」で受けてみました。だめもとと言っても、私なりに、必死で練習をしました。めちゃめちゃ練習しまくって、熱が出るほど練習しました。当日にも熱を出してしまったんですけど、練習というのはすごいもので、練習したことは熱が出ていても、オーディションの場でできるんですね。ふらふらしながらも、練習したことはオーディションで発揮できました。これであかんかったらもうしゃあないなあと思って、その日は帰ってきました。何日かして、「来てください」という手紙が来て、私が一番行きたかった、ニュースクールユニバーシティーのJazzアンドコンテンポラリーミュージックに行くことになりました。

なんだかんだと通算3年ぐらいそこで学びました。やっぱり、プライベートレッスンだけを受けているのとは全然違いました。こんなことも知らんかったんかということがいっぱいありました。私は、自分のことをJazzミュージシャンってなかなか言えなかったんですが、Jazzミュージシャンというのが恥ずかしい、Jazzをやりたいと言うのも恥ずかしいぐらい何にも知らなかったというのが、その大学に行って分かりました。

向こうの大学は厳しくて、ちゃんとしたレベルに達していないと卒業させてくれないんですね。入るのは、わりと簡単に入れるんですけど、簡単には出してくれない。なかなか入れなくて、入ったら誰でも卒業できるという日本の大学と違って、門戸は開かれているけど、卒業するのは結構大変という感じでした。2年から3年にあがるときに、テストがあるんですけど、それに通らなかったら3年に進めないんです。どんなテストかと言うと、レパートリーにスタンダード曲を10曲を選んで演奏をする。全部メモリーして、試験官にどの曲を指定されてもできるようにしておかなあかんのです。その他に3曲ほどオリジナル曲も演奏できなければいけない。それもどの曲を演奏するように言われるかは、その時になってみないと分からないので、どれもちゃんとできるようにしとかなければいけないという、そんなテストです。それを通過しなかったら、さっきも言ったように、3年には上がれません。
その試験がきついんですよね。ちょっと演奏できる程度のものではなくて、その曲を、裏からも表からも、全部理解して、どういう茶々が入ってもたじろがないで、演奏できるところまでいかないとダメなんです。試験官は、その時、大学が選んで来た第一線のJazzミュージシャンです。外で活躍してはるJazzミュージシャンが試験管になる。そしてその人たちが、この人はJazzミュージシャンとしてやっていけるかどうかを判断、採点します。この3人の試験管がOKを出さないと通らないんです。

それを通過するの結構大変でした。すごくきつかったんですけど、そのためのプライベートレッスンを受けるというアドバイスもカウンセリングの先生がしてくれました。理論の授業も全部英語で苦労したのですが、先生も、シティカレッジの心理学を英語で受けはったので、その苦労を良く分かってはる。それでどないしたらいいのかというのを教えてくれました。たとえばちゃんと録音しておくとか、分からへんところは、お金出してでも、その教えてはる先生のプライベートレッスンを受けて、分かるようにするというようなことです。私は英語がそんなに得意ではなかったので、分かれへんこともたくさんあったんですけど、とにかく先生に教えてもらった「だめもと精神」でやっていきました。分からないところは、プライベートレッスン料を出してでも、聞いて、教えてもらって、補充して行くというやり方で、なんとか卒業まで漕ぎつけることができました。
(続きは明日 
<大切なのはセルフ・エスティーム>と<引っ込み思案のサキソフォン・プレイヤー>)

2011年7月10日日曜日

オルフェウス管弦楽団のDVD視聴~フェミニストカウンセリング研究会~

このところMASAさんの講演録の掲載が続いていますが、ちょっと他の報告。
昨日7月9日。2ヶ月に1回行われているフェミニストカウンセリング研究会がありました。前半はDV被害当事者の支援についての検討会。相談には何もできなさそうに、一見見えるような相談を受けたとき、その人のエンパワメントのためにできることは何か、あるいはその人の力をどうやって見出すかなど、短い時間ではあれ、有意義なディスカッションが交わされました。(と思っているのですが、参加した方どうでしたか?)

そして後半オルフェウス室内管弦楽団のドキュメンタリーDVDを見ました。オルフェウ室内管弦楽団は指揮者のない管弦楽団として知られています。1972年にジュリアン・ファイファーらによってニューヨークに創立されました。1997年と2008年に日本でも公演しています。昨日見たDVDは1995年に作られたもの。日本公演の2年前です。

指揮者がいない管弦楽団ということで、リーダーシップについての文章などでしばしば取り上げられていますが、このオルフェウスの原則は次の8つ。

・その仕事をしている人に権限をもたせる
・自己責任を負わせる
・役割を明確にする
・リーダーを固定させない
・平等なチームワークを育てる
・話の聞き方を学び、話し方を学ぶ
・コンセンサスを形成する
・職務へのひたむきな献身   

ですが、当日DVDを見ているときはそんなことはすっかり忘れ、見入っていました。


作中で演奏される曲は、比較的よく知られたもので、演奏のレベルも高く、それだけでも十分に楽しめます。構成も好評でしたし、「いいな、好きなことで生活していけて、仲間もいて・・」という視聴後の意見もあり、確かにとてもやりがいのある仕事、生きがいのある人生という感じでした。

このDVDのタイトルは「ORPHEUS IN THE REAL WORLD 26Musiciansー
26Conductors」。26人の演奏家=26人の指揮者ということですが、この演奏家を支えている事務方がいます。この人たちが26人の中に入っているかどうかはわかりませんが、オルフェウス室内管弦楽団の演奏を支える、言うならばマネージャーのような存在です。この人たちは演奏家たちの演奏に関する討論や高まり、チームワークの外側にいます。「彼は抑圧的だ」「彼は演奏家の心がわからない」「だけど、彼がいるから自分たちは演奏活動を続けていられるのだ」というジュリアンに対する演奏家たちの評価が、作中で紹介されていましたが、どういう役割で、演奏家たちとどういう関係にあるのか、興味のあるところです。

また作中の「意見があわないときは妥協することが民主制を支える」と言うような言葉も印象に残りました。理想主義的な組織運営と称されるオルフェウス管弦楽団ですが、理想を支えるには、それなりの苦みや辛さがあり、メンバー各々がその苦味や辛さも引き受けていく、そのことのほうにオルフェウスの真髄があるのではないか、そんな気がしました。

それと、メンバーの中に佐藤瑛里子さんという日本人女性がいました。日本女性は世界のどこにでもいるというのを以前に聞いたことがありますが、ホントですね。かっこよいことこの上ない。
(加藤伊都子)