2011年9月11日日曜日

パワハラを受けたときには/優位に立つとは/仕事とは    ~9月パワハラ研究会報告~


9月のパワハラ研究会は、9月8日(木)の午後7時から、アミナス北野田3階の新しい「男女共同参画交流の広場」で開催しました。
南海高野線北野田駅西出口からデッキで直結し、駅1分の便利な場所。

2006年6月にスタートしたパワハラ研究会がまる5年になるのを機に、5年間の取り組みを15ページにまとめ、振り返りました。

当日の話し合いの中からいくつかをご紹介します。
まず、いじめられる人のイメージーには「暗い、おとなしい、仕事ができない」というものがありますが、実はそれとは違う「明るい、行動力あり、仕事ができる」人の場合でも職場のいじめにあうことがわかっています。今回も改めて、そうした事例について話し合いました。後者に共通しているのは、「話せばわかる」と思っていることです。そして加害者がするようなえげつない方法でくやりかえすことができないことです。

やられたときに黙っていないことが大切ですが、そのときに、「なんでそんなことをするの?」という言い返し方はあまり役にはたちません。むしろ、「理由もわからないのか」などと、さらなる攻撃の口実を与えるだけということになりかねません。こういう相手とは、「どうして?」などと、一生懸命コミュニケーションをとる必要はありません。コミュニケーションをとろうとすればするほど、先ほども書きましたが、攻撃の口実を与えることになります。

次に、自分が優位に立つものの言い方について意見交換をしました。上からの物言いに対して拒否反応を持つ女性は少なくありませんが、これはもしかしたら女性の文化なのかもしれないということについて話し合いました。たとえばトップになった女性が、部下がするコピー取り、お茶くみをした場合、女性からは、あの人は立場が変わってもえらそうにしないと好感をもたれがちです。しかし、男性はそれを見て、そのトップの女性の評価を下げるということを聞いたことがあります。フェミの世界には男社会とは違うやりかたを目指そうという思いがありますが、こうした優位に立たないように配慮する姿勢を保持することの意味を改めて考える必要があるのではないかということが話し合われました。男性社会の中で男性と闘うことを考えたとき、配慮に満ちた低姿勢はいつも美徳となるとは限らないのではないだろうか、というのがパワハラ研が、今「もしかして?」と思っていることです。

最後に「仕事」というものの持つ性質、仕事の評価の難しさについて考えました。黙って自分が動いて仕事がスムーズに運ぶよりも、他の人の仕事ぶりに「ダメだ」「困ったもんだ」声高にいう方が、仕事をしているように見えるのではないかということが話し合われました。自分の存在感を示すためには、仕事がうまく運んではいけないという矛盾した話ですが、たとえば、男女共同参画センターは男女共同参画社会が実現したら、不要になる、というような構造的な矛盾と同じようなものが「仕事」というものにも内包されているのではないかという話し合いをしました。この仮説については、十分には話し合いができていませんが、おもしろい視点だと感じています。

上記の話し合いから引き続き、仕事の裁量の幅が狭く、ルーティンワーク中心の職場では、仕事に内包する喜びが少なく、煮詰まった不満がパート労働者を排除する方向へ振り向けられるということが報告されました。こうした職場ではパワハラが出やすく、最近の労働相談では、職場の人間関係の問題での相談が多いそうですが、これには職場の持つゆとりのなさも、影響しているとのことでした。

当日の話し合いの内容を簡単に報告しましたが、報告にあたって、詳細を省く、あえて曖昧な表現にする等、いくつかの操作をしていることをご了承ください。

パワハラ研究会では、対応に困っている管理職への提言も今後の課題としたいと考えています。
次回は10月の研究会もアミナス北野田3階「男女共同参画交流の広場」で開催予定です。この会は全くのクローズドではありませんが、全くのオープンでもありません。参加希望の方は現メンバーにご相談ください。                                                   (PH研究会)