2012年3月20日火曜日

東村さんのこと

先日、堺市の市民活動コーナーhttp://www.sakai-npo.jp/shimin/shimin.html にチラシの配架をお願いしに行ったとき、待っている間にさまざまな市民活動団体のパンフレットが置かれているスタンドをみていたら、このパンフレットがありました。
本当にびっくりしました。メンバーが配架を頼みに行ったとは聞いてない。じゃあもしかしたら東村さんが頼みに来たんだろうかと。ありえないことなのに、そう思いました。というよりも、思いもかけないところで東村さんにあったような気持ち・・・・。

思わず、「この人亡くなったんですよ」と言ったら、カウンターにいらした宝楽さんも「そうなんですよね。びっくりしました」と。夫さんから、メルマガの配信停止の申し出があり知ったそうです。そうだったんだ。あっちにも、こっちにも、東村さんのことを知っている人がいる。さすが東村さん。
「さかい・おんな電話相談のあゆみ」を配架しているのは、市民自主事業の報告資料なので、残っている間は、他の事業とともに配架し続けているとのこと。
そうか、東村さんが持ってきたんじゃないんだ、と当たり前のことを思いながら、でも何となく、ここでこれを見つけたのは、東村さんからの何らかのメッセージのような気がしました。

突然の訃報から3ヶ月が過ぎ、ご家族にとってはますます寂しさが増してくる頃だと思います。先日、夫さんがフェミニストカウンセリング堺の事務所にいらして、彼女の蔵書を寄付してくれました。
その本の紹介もまたFemi-Palニュースでいたしますが、今日は日本フェミニストカウンセリング学会ニュースに投稿した追悼文を以下に転記します。     (加藤伊都子)

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12月3日、フェミニストカウンセリング堺に衝撃が走りました。衝撃のもとは一枚のFAX.。そのFAX.には「東村アツ子は12月1日に逝去しました」と書かれていました。東村さんはフェミニストカウンセリング堺を拠点に活動を続け、2008年に、フェミニストカウンセリング堺で電話相談を始めました。最初は全国共通DVホットラインへの参加から始めた電話相談でしたが、現在は「さかい・おんな電話相談」と名付けられた独自の電話相談も行われています。また電話相談員養成講座の開催のために計画を練り、助成金を取り、イベントに参加し、とNPOFC学会・堺の電話相談を牽引してこられました。その講座も三期が終了。現在はその講座の修了生たちが相談電話をとっています。亡くなられたのは12月1日。また来週ね、じゃ次の介会合で、という約束もそのままに急に旅立ってしまわれました。あまりに突然だったために、今でも会合のたびに東村さんが来るのではないかという錯覚にとらわれる私たちですが、悲しみの中、東村さんの思いを受け継ぎ、電話相談を続けていくという決意を新たにしています。哀悼の念と、私たちの礎を築いてくれた先達の熱意と努力を大事にしていきたいという思いをこめて、私たちの仲間であった東村さんの訃報をお伝えします。 (NPOFC学会・堺 一同)





http://www.sakai-npo.jp/ml/ml-backh23.html