2013年9月23日月曜日

JR北海道と大阪市営地下鉄 ~民営化したところとこれからするところ~

JR北海道がレール幅拡大を1年放置したということが問題になっているが、民営化とはこういうことだと思う。儲からない業種、あるいは赤字続きの企業は倒産するか廃業するかが当たり前。
だけど交通機関はそういうわけにはいかない。利潤はあがらなくても、住民の生活のためには存続させることが必要で、当然ながら安全対策もきちんとやってもらわなければならない。
でも利潤があがらなかったら、それも経営努力の問題ではなく、地域性の問題とか、その他産業構造の変化や社会の変化などの影響で、利益どころか、経費に充てるに十分な売り上げがなかったらどうするか?ほかのところであがった利潤を回すとか、何らかの助成が必要でしょ、どうしたって。
だから全国展開しなければならないもの、そこに住む人がいる限り必要なサービスというのは、税金で助成をしたり、公共〔国や地方自治体)が運営してきたのだと思う。交通機関も民営化し、医療も民営化し、郵便も民営化し、介護も民営化し、の果てにはどんな社会があるのでしょうね。過疎地に住むならサービスを得られないことを覚悟しろという世の中になるのでしょうか。鉄道がなくなったら、車でというのだって同じこと。年取って自力で運転できなくなったら、タクシーを使うしかなくなる。過疎でタクシー会社が遠方にしかなかったら?お金かかってしょうがないヨ。鉄道が消えて得する人は誰?
民営化に賛成する人たちの中には、赤字になったら給料がなくなるという危機感を持ってもらわなければ、人は怠けてばかりで働かなくなる、創意工夫もしなくなる、ただの給料泥棒になるという考えがあるような気がするのだが、この考え方は人間に対して失礼。どこの世界にも働き者もいれば、怠け者もいるもの。効率追求を推し進め、働き者だけにしようという考えが行きつくところまで行ってしまった極端な形がブラック企業なのではないかと思う。
こんなことを考えていて思うのは、大阪地下鉄の民営化。本当にいいことなのかね。民営化しないと決定が遅いとか、責任体制が不明確とかいろいろ言われるけれど、民間会社なら、その点が必ずOKになるとも思えない。それよりも民営化に伴って失うものをきちんと考えているのでしょうか。いいことばかり言うけど、そんなことはないと思う。デメリットが一切ないような言い方はどこか胡散臭い。とにかく何でも民営化すればいいものではないということを、今回のJR北海道の問題が示している。    (PON子)