2011年7月13日水曜日

SwingMASA講演録(10) <サキソフォンプレイヤーとして永住権をとる>


私はネガティブ思考には自信があります。根がネガティブ思考なので、ほったらかしにしてたら、なんぼでもネガティブ思考になって行っていたと思うので、本当に、カウンセリング受けて良かったと思っています。

先生は、強いネガティブ思考のエネルギーは、方向を変えたら、その強さの分だけ自己実現のためのエネルギーになると言うんですね。私の強いネガティブ思考は、方向を変えたら武器になると言ってくれて、「ああ、そうなんや」と、それも目からうろこでした。

1週間に1回のカウンセリングを5年間受けて、そろそろ一人でやって行ったらとなって、最後の半年ぐらいはゴールに向けてのカウンセリングをやりました。最終日のカウンセリングはほんとにオイオイ泣いて終わりました。これからは一人でやって行かなあかんなと思いました。

それでちょっと一人でやってたんですけど、人間関係でトラブってしまいました。多分私自身が変わったので、今までの人間関係の作り方で知り合った人たちとかみ合わなくなったんだと思います。それまでサポートしてくれていた人たちは、できない私、失敗する私、自己実現できていない私だからサポートしてくれていたのかもしれないと思います。コンサートの実行委員会で「なんでいつもMASAのサポートせなあかんねん」みたいなことを言われたりもしましたが、それまでにとても世話になった人たちなので、そのときも何と言ったらよいのかわかりませんでした。そしてどんな風に、その人たちと付き合ったらよいのか悩んだのですが、今までとは違う付き合い方がその人たちとはできずにいました。

それで、ニューヨークに帰ったときに、また日米カウンセリングセンターに行きました。そのときは、コンドウ先生はドクターを取るために大学に戻ってはって、センターにはいませんでした。それで、違う先生のカウンセリングを3年ぐらい受けました。3年ぐらい経った時に、コンドウ先生が卒業しはって開業したということを、そのカウンセラーが教えてくれて、そちらに通うことになりました。

大学を卒業したあと1年間ぐらいは、プラクティカルトレーニングというのがあって滞在できたんですけれど、もうちょっとニューヨークにいたいなあと思いました。それまでも、ずっとニューヨークに住んでいたいという気持ちがありましたので、永住権を取ろうかどうしようか考えました。その判断をするために、いろんな人の話を聞いたんですが、何年もかかるということで、すごく迷いました。どうしたらいいか判断しかねてカウンセリングで相談したら、「そんな2年や3年は、あっという間に経ちますよ」と取得の後押しをされました。

とは言え、取り方がかわからなかったのですが、カウンセリングで、日本人向けにグリーンカードの取り方の講演会を弁護士がやっているのを教えてもらいました。ステイタスの事で悩んではる人らがたくさんいて、困っている人たちはみんカウンセリングに行っているので、そういう情報もカウンセリングセンターに集まってくるんですね。それで、その講演会があることを、先生に教えてもらって、出かけていきました。
 そこで相談したら、アーティストで永住権を取ってみませんかと、弁護士にいわれました。それだけ、日本のいろんな所でコンサートをやっているんだったら、サキソフォンプレイヤーで永住権が取れるんじゃないかということでした。弁護士が言うには、ビザを取るのも永住権を取るのも同じパターンなので、ーティストビザが取れたら、永住権も取れますよということでした。それでまずビザを取ってみましょうということになりました。バードランドで3カ月に1回コンサートをしているのなら、バードランドがスポンサーになってくれませんかねと弁護士さんが言うので、バードランドのオーナーに聞いてみました。スポンサーとして契約書にサインしてくれへんかって聞いたら、「何ぼでもやってやるで」「とりあえず持っといで」と言ってくれたので、弁護士さんが作ってくれた契約書を持っていって、サインをしてもらいました。
それで、まずアーティストビザが取れました。次にそのパターンで、同じように永住権の申請をしたら、永住権も取れました。それまで、Jazzサキソフォンプレイヤーで、永住権を取った人はあまりいてないと思います。たぶん私が最初じゃないかと思います。

Jazzプレイヤーで永住権なんかなかなか取れないとみんな思っていました。だからみんなジャズプレイヤー以外の方法で永住権を取っていました。たとえば普通のレストランで働いて、レストランから永住権を得たりとか、日本語と英語の文化的な橋渡しをするのに役立つ特殊技能のを持っているというので、特殊技能のH‐1ビザを取ったりとかしていました。つまり、真正面から自分の本業で、ビザや永住権を取ってはれへんのですよ。
私はカウンセリングを受けていて、そこで得た情報で、弁護士に相談することができて、その助言で真正面から自分の本業で永住権を取ることができました。

そのことは、サキソフォンプレイヤーとしての私の自信につながりました。そして今度は、サキソフォンプレイヤーでビザを取ったり、永住権を取ったりしたんだから、もっとその活動をしなければとなっていきました。サキソフォンプレイヤーとしての仕事や活動をするように、自分で自分をが仕向けて行って、いろんな所で仕事をするようになりました。った感じです。
世の中には、そういう活動をしているのを、見てくれてはる人がいて、推薦してくれたんだと思いますが、2001年に大阪府のプリムラ奨励賞をいただきました。カウンセリングを受ける以前の裏街道(ばかり歩いていたのとは違って、表街道も、少しは歩けるようになってきた感じがしています。

明日は最終回。講演の最後の部分と講演終了後の質問部分とを編集してお届けします。
タイトルは<私は決めた>