2011年7月12日火曜日

SwingMASA講演録(9)<自己実現への道> 

そういうロールプレイをやってくれるのはカウンセリングの場以外ではありませんし、すごく助かりましたが、カウンセリングで一番すごいと思うのは、先生との信頼関係です。1週間に1回のカウンセリングを1,2年ずーっとやってきたら、ある程度の信頼関係ができてきます。先生には守秘義務があるので私の秘密は一切しゃべらない。私も誰にも開かない心の窓みたいなのを開いて全部先生に打ち明ける。そうやって自分の気持ちを言語化して、自分の心の状態を認識し始めるわけです。

最初は受け入れてくれるばっかりです。話をすごく聞いてくれるし、落ち込んでたら慰めもしてくれるし、私の望んでいることを言うてくれる。たった一人の、世の中で一番の、私の良き理解者にカウンセラーがなっていくんですね。その中で、ある程度の時期をこえたら、私自身の弱い所を補強するために、いろんなアイディアを出してくれたり、私の見たくない部分を指摘してくれたりするようになります。

その時には、それまでと違って居心地が悪いので反発もしました。その頃私がコンドウ先生に一番言ったのは、先生は男やし、フェミニストの視線がないから分からへんのですよということでした。それをすごく言いました。
その当時日米カウンセリングセンターには3人ぐらいの先生がいましたので、女性のカウンセラーに変えてくれということをしきりに言いました。でも、カウンセリングは、スーパーバイザーもいるし、カウンセリングの状態についての話し合いもするので、カウンセラーを変えても、方向は同じですよと言われて、あきらめて先生のカウンセリングを続けることにしました。そこらへんから、もう一歩突っ込んだカウンセリングになっていきました。自分の成長期に先生が関わってくれてはる感じがすごくしました。

それまでの私は、は小さい子が、できへんことを、いやいやって駄々をこねてるような状態でした。カウンセリングを受ける中で、ちょっと落ち着いてきて、ほんとにそれができるかできないか見定めてみようという風になりました。そしてやってみたらできることもあるんじゃないかという感じの示唆もカウンセリングの中でもらいました。
それまで、私は、その内容や中身について踏み込むことをせずに、何もしないで、そんなのできへんと、そんなんできへんと言うてたんですが、それが、ほんとはどうなのかを考える段階に入っていきました。それは今までの私には全然なかったことで、面白かったですね。

たとえば、在学中に、自分がリーダーでバンドを組んで、自分の作った曲を演奏するということをしました。それまでは自分のバンドを作るなどという発想すらありませんでした。誰か、すごいミュージシャンが私を見つけてくれて、バンドに入れてくれはらへんかなみたいな、そんなことしか考えてなかったんですね。

自分の作った曲で、自分が表現したい内容を自分のバンドでやってみる。考えもしなかったことをまずやってみました。そしてやってみたらできたんですよ。それまで私は、ボーカルの女の人やピアノの女の人がライブをやっているのを、嫉妬しながら見ていたんですけど、そのバンドのデモテープを作って、私のライブやってもらえませんかと、ライブハウスに持って行くようになりました。そんなことも「やってみませんか」というカウンセラーのアドバイスではじめたことでした。そう言われて、だめもとで、ほんとにだめもとで、やってみたんです。               
 そのだめもとで引っかかった所に、バードランドという、名の通った、向こうでは老舗のライブハウスがあります。「私、ウーマンズバンドをやっていて、ここでライブやりたいんだけど」というのを、話した相手がそのバードランドのオーナーやったんです。「誰に言ったらいいんですか」って聞いたら、「僕がオーナーや。僕に言うてくれ」って。

それで、いつやりたいんやとか、日にちまで聞いてくれました。日本人ばっかりのウーマンズバンドを「面白いな、いっぺんやってみるか」みたいに言ってくれて、契約書まで書いてくれました。それで、一回やりました。一番最初のライブだったので、私も気合を入れて、満席になるぐらい人を動員しました。結果、そのライブ自体は大成功となりました。
結構人も動員しましたし、演奏についても女性のJazzもなかなかいいじゃないかみたいな感想も得られて、じゃ、3カ月にいっぺんぐらいやってくれるかという話になりました。

それまですごい嫉妬していた人たちがやっていたライブハウスは、誰でもが出られるようなところでしたが、バードランドというのは誰でも出られるようなところじゃないんです。そこに引っかかったというのは、自分でもびっくりで、すごいうれしいことでした。

私は、そういう自己実現みたいなことを描いてニューヨークにいったわけではないんです。とにかくJazzを浴びるほど聴きたいということで、ニューヨークに行ったんですけど、カウンセリングを受けることで、ひそかに夢見ていた、憧れていた自己実現が、ドリームカムトゥルーというか、少しずつ形になっていきました。

今ではいろんな日本人のJazzミュージシャンが老舗と言われるようなところに出られるようになりましたし、いろんな人がいいライブハウスに出ていますけど、当時はそんなに誰もができるようなことではなかったのです。バードランドに出られるまでになれたというのは、その頃の私にとっては、ここまで来れたらもうそれでええわというぐらい、うれしいことでした。そういう風な道筋も含めて、カウンセラーのだめもと精神のアドバイスがなければ、そこまで行ってなかっただろうなあと思います。根が強いネガティブ思考なので、一人ではできていなかったと思います。



(明日は<サキソフォン・プレイヤーとして永住権をとる>